鉄道の総本山 日本国有鉄道 本社ビル 国鉄本社旧館・新館ビル
国鉄本社ビル旧館(正面入り口)
昭和10年1月から工事スタート。
鉄筋コンクリート8階建ての本社ビルです。
このビルは国鉄の前身である鉄道省として建築されました。
昭和12年12月12日に第一期部分として半分が完成ました。
ルネッサンス様式の優美な建築ですね。
昭和16年には空襲を想定して屋上になんと
厚さ50cm、重量5,500tの耐弾層を構築する
資材がないので30kgレールや25mm鉄筋を埋込み
1トン爆弾に耐えられる堅牢な要塞になりました。
その厚さは50cmもあり見かけによらない頑強さ
しかも、戦争中は迷彩色を施す厳重体制
アールを描く曲線が美しいですね
でも1トン爆弾に耐えられる超要塞
さて、半分しか建物つくらなかった
鉄道省本庁舎は名前を変えながら
運輸省と日本国有鉄道(国鉄)に
分割されました。
国鉄も仕事が忙しくなりつつありました。
高度経済成長期ですからねぇ
それに運輸省と同居状態なので
手狭なので増築することを決めました!!
さて、本社ビルの2期工事(ルネッサンス様式の)
計画通りにするか?それとも新しいビルを作るか?
それで喧嘩になりましたが結局は・・・!!!!
新しいビルを作ることに決めました
本来の完成予定図は漢字の「日」を変形させるた感じになる予定でした。
それにしても中途半端に作ったもんだ・・・「黒い部分が完成した旧館」
さて新館は地上9階・地下3階の無難な・・・ビルで
昭和38年1月7日に24億円かけて完成しました。
この新館に運輸省・国鉄本社の中枢(国鉄総裁など)
が移りました。空いた旧館には東京鉄道管理局が移転してきました。
ここで揉めたのが運輸大臣室の大きさと、
国鉄総裁室の大きさなど馬鹿な事を真剣に討議されました
結局は新館6階に運輸大臣室が置かれ、
その後に昭和41年に運輸省が霞が関に移転して
空いた場所に国鉄総裁室が移転しました。
いい響き国鉄総裁・・・なりたい夢の職業
こちらは列車集中制御室の電光掲示板
時代を感じますね。
当時の朝のNHKニュースで国鉄運行司令のおじさんが
渋い顔付きで「東海道・山陽・東北・上越新幹線は通常通り運行」
と言われ、なぜか妙に説得感があり好感がありました。
低学年の子どもでしたけどねぇ・・・。
今はJRのお嬢さんが言ってるけど・・・
やっぱり渋いおじさまが一番
懐かしい風景の登場です!!
このアングルの写真はもう2度と取れないんですよね
東京駅の八角屋根も国鉄本社も歴史にの中に行ってしまいました
高校3年か大学生時代に東京の風景写真を撮りまくっていた。
あさひなにとっては・・・あたり前の風景なんですが・・・。
そうで無くなる瞬間は早いですね。゜゜(´□`。)°゜。
そして、国鉄精算事業団から大売出しの看板が掲げられました。
政治家が無理やり路線を引っ張り。料金値上げを認めず。
潰れされて分割された国鉄(´;ω;`)ウウ・・・
本社ビルまで売りに出されて・・・。
国民の財産だったのに・・・
最後に
栄光の「日本国有鉄道」の文字
すべてが歴史の中にきえていきました
全国が一律の輸送体型でストライキばかりしてたけど
鉄道が華やかでカッコ良かった時代ですね。
車掌の白い制服に憧れてました。
改札の切符切りにもなりたかった
鉄道公安官もカッコよかったなぁ
みんな機械になっちゃた。なんか哀しい日本だねぇ。
便利だけどそれだけで考えることもなく生きている。
つまらないなぁ。
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