フォト

カテゴリー

« 秋葉原  交通博物館に行く(Ⅰ) 前編 | トップページ | 秋葉原  交通博物館に行く(Ⅱ) 中編 »

2013年10月 1日 (火曜日)

東海道新幹線(Ⅰ) 210km/hでの列車の運行は可能である。島安二郎

時に昭和39年(1964)10月1日に東海道新幹線は開業しました。
みなさんは鐵道好きですから説目の必要ないですよね。

Img_255389_3792070_1

終戦から19年後。建設から僅か5年の短期間で
東京―新大阪間の高速鉄道が全通したのでした。

しかし、それより前に新幹線構想を考え出していた人がいます。
それは、はるか昔の明治37年(1904)にさかのぼります。

「設備次第では210km/hでの列車を運行することは立証されている」
と言い切って論文を書き上げ公表した方です。

お名前を「島 安二郎」さんと言います。

210km/hの列車・・・これこそ新幹線のスタートラインなんです。
明治37年と言えば1904年のことです。

東海道新幹線が開通する60年も前になります。

明治5年の鐵道開通から路線を伸ばしていきました。
官営鉄道・民営鐵道は国策により国有化され
変遷を経て鐵道院に統合されます。

日本の鉄道は開業時から問題を抱えていました。世界標準の
線路幅である標準軌ではなく狭軌1067mmを採用しています。
なぜ狭軌を導入したかは諸説あります。後日に説明しますね!

その結果、早く列車を走らせたくともレール幅が狭いので・・・・
高速で大型の機関車を作ることは不可能でした。

なぜ?

レール幅が狭いので車輪を大きくすると車体が不安定になります。
したがって不安定なので大きなボイラーが搭載できませんでした。

また物理上。蒸気機関車の動輪へのピストン運動は限界回数が
決まっているので車輪を大型にしなければ高速運転は物理的に
不可能なのです。

そこで島安次郎さんは、鉄道院総裁の後藤新平に全線を標準軌
である1435mmへ改築して高速化をしようと発言しスタート切ります。
そのための法案である「広軌改築案」を
帝国議会へ3回提出していましす。

Aaaa123

しかし、もう一つの大きな考え方がありました。

「改築する金があるなら路線を伸ばせ」これが帝国議会の声でした。
これは議員の票にもなります。

結果は却下され狭軌で線路拡大方針が日本の国策に決定されました。

島安次郎さんは鉄道院を退官します。
そして南満洲鉄道へ任官し標準軌で実力を試します。
そこで最高時速150kmで走るパシナ形蒸気機関車
の特急「あじあ号」開発に成功します。

レールの幅さえ広ければ210km/hはもう時間の問題でした。

この成功がもとになり、昭和14年に鉄道省へ呼び戻されます。
目的は「新幹線」構想の実現。
東京―下関間を9時間・大阪まで4時間で結ぶ計画の最高責任者に着任します。
もう公式文書に「新幹線」の文字が出てきます。

そして昭和15年5月24日に新幹線の運行図表予定が完成します。

いよいよ本格的な工事スタートです。
新丹那トンネルの掘削開始。土地取得。進んでいく計画。
昭和16年の太平洋戦争で工事は縮小しますが進みます。
しかし、戦局悪化で昭和19年には戦争の為に中止が決定されてしまいます。

そして終戦、島安次郎さんは昭和21年2月に力尽き亡くなりました。
77歳の人生でした。

10月10日に・・・つづきます。

« 秋葉原  交通博物館に行く(Ⅰ) 前編 | トップページ | 秋葉原  交通博物館に行く(Ⅱ) 中編 »

日本国有鉄道(JNR)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 秋葉原  交通博物館に行く(Ⅰ) 前編 | トップページ | 秋葉原  交通博物館に行く(Ⅱ) 中編 »

2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想