宮松金次郎先生をご紹介いたします( ̄▽ ̄)
写真の転載禁止です。どうぞご理解ください。
保存も禁止していただけますか?
何卒ご理解ください。 朝比奈ひなた より
宮松金次郎さん
明治45年(1912)6月30日―昭和45年(1970)6月8日
宮松家で保存管理されている写真コレクションは、戦前に花開いた郊外電車の時代から始まります。院電から省線へ。そして百花繚乱に花開いた全国の私鉄路線を念入りに、また精密に撮影し、その生涯を膨大な写真記録として後世に焼付けた人物こそ宮松金次郎氏と言えましょう。
毎夜に雑誌の編集・挿入図面を書き込む、地味であるけれど細かな完璧な調査によって、グラフィック中心で詳しい解説と言う現在の月刊鉄道誌の基礎を作られたのです。しかし、宮松氏と有志で作られた雑誌「鐡道趣味」は残念ながら日中戦争拡大による用紙の配給停止と鉄道が軍用資源機密保護法に指定されてしまい、ついに休刊に追い込まれてしまったのは、さぞ無念だったと思います。しかし、廃刊ではなく休刊としたところに宮松氏の雑誌「鐡道趣味」に対する情熱を感じることができるかと思います。
戦後は早くも昭和23年(1948)頃には撮影を再開し、昭和33年(1958)11月14日には鉄道愛好家の親睦会「鉄道友の会」発足にあたり理事に就任。戦後の落ち着いた時期からはカメラもマミヤプレスやキャノン4SBを愛用して写真撮影に励まれ、生涯を鉄道愛好家として歩まれた人生と言えましょう。
不思議な縁で御子息とは職場で大先輩と平社員の関係でした。
ひなたのようなブログに大切な写真を掲載しているのが本当に
申し訳ないです
どうにか頑張って少しは宮松金次郎さんをリスペクトしなければ・・・・
う~ん難しい_| ̄|○ 大丈夫かなわたし・・・。
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コメント
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不思議なご縁ですね。
でも、それとはまったく関係ない者が
流出(笑)画像に接することができるのが
ネットの魅力なのかもしれません。
眼福、眼福。
著作権法の趣旨&渡世の義理は
十分理解しているつもりですので、
うさぎさんに関してはご心配なく。
投稿: うさぎさん | 2014年2月 5日 (水曜日) 06時43分
こんにちは。モモパパです。
鉄道趣味黎明期を支えた宮松金次郎氏。
僕も存じ上げてます。
戦中は困難を極めても早くに鉄道の趣味を広げることに尽力された方ですね。
僕、尊敬しておりますよ。
投稿: モモのパパ | 2014年2月 6日 (木曜日) 09時38分
こんにちは。
貴重な写真を公開して頂き、大変有難うございます。
写真からも宮松氏の偉大さが「8850」以上に伝わってきますね。
鉄道100年の1972年を目前に若くしてお亡くなりになり、ご本人もさぞ無念だったのではと思われます。
ところで「宮松コレクション」の数はどの程度保管されているのですか?
また戦後も昭和40年代まで撮影等されていたのでしょうか?
膨大な資料でしょうから保存状態の良い内に、一般公開及び後世に半永久に残してもらいたいですね。
私たち地方の者では拝見する機会まったく有りませんので、是非とも実現を望みます。
次回の公開も楽しみにしております。
投稿: hs777 | 2014年2月 6日 (木曜日) 14時05分
皆様に宮松金次郎先生を少しでも知ってもらえて嬉しいです。
また、これからもできる限りの努力をしたいと考えております。
投稿: 朝比奈 ひなた | 2014年2月 6日 (木曜日) 22時57分