JNR津軽丸Ⅱ型船就航50周年 昭和39年9月17日 聖火を乗せて
連続4話の第三話になりますヽ(´▽`)/
ここまでモノレール・飛行機ときて船のお話をしようと思います。
沖縄からYS-11で運ばれた聖火は昭和39年(1964)9月11日に
北海道千歳空港に到着。聖火リレーを開始です。でも北海道は
広い・・・。なので札幌市から一気に函館市へ向かいます。
そして函館港には・・・
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
ここまで来て・・・話しもどします┐(´д`)┌ヤレヤレ
昭和39年の国鉄の出来事と言えば?「東海道新幹線開通」と
いう人が大多数ですねぇ。と言うか、それ知ってる人は鉄道が
好きな人でわぁ。などと考えたり( ̄▽ ̄)ああっ。すいません
そんな中に登場したのが、青函連絡船の最新鋭船「津軽丸Ⅱ」
海の新幹線ともいえる最新鋭の鉄道連絡船でした。
青森駅と函館駅を結ぶ青函航路は距離は約113kmもあり
しかも、途中には難関の津軽海峡がある。難しい航路です。
昭和29年9月26日の洞爺丸台風で一気に5隻が沈没・・・
犠牲者1094名・乗員353名が死亡。ここに一時的に本州
と北海道間の交通が途絶されてしまいました。
こちらも十河国鉄総裁が先行投資をします。
昭和36年(1961)1月、
「青函連絡船取替等計画委員会」を設置して建設方針を決定
絶対に沈まない船。しかも新規の安全対策。速力の向上。
輸送力向上。物凄く難易度が高い造船計画です∑(゚∇゚|||)
この概念で昭和37年(1962)11月8日に神奈川県の浦賀重工で
「津軽丸」の建造がスタートします。昭和39年(1964)3月31日に
竣工します。そして練習航海が始まります。
そして姉妹船の次女「八甲田丸」が同じ年の7月31日に竣工
津軽丸姉妹はお客さんと貨物車両を一緒に乗せる船です。
その大きさは国鉄史上最大級に近い船になりました。
ちなみに津軽丸姉妹は7隻姉妹すごいでしょぉ(゚▽゚*)
全長が132m・総トン数8,278.66トン
最高速力21.57ノット→最高時速39.9km/h
貨物車両は48両。そして、お客さんは一度に1200名も運べる。
しかも、当時では国内最大級の客船です。
それまでの洞爺丸型の姉妹4隻は
全長が118.7m・総トン数3,898.03トン
最高速力17.46ノット→最高時速32.3km/h
貨物車両18両そして、お客さんは932名
津軽丸型・・・凄い性能がUPですねぇ( ̄ー ̄)ニヤリ
安全には考えられるアクシデントを想定し建設してますよぉ。
お客様はすべて貨車を詰め込む場所の上になりました
これで、万が一の時は脱出するが容易になります( ̄▽ ̄)
もし、沈没しそうなら(もしもの為に)緊急時のゴムボートにへ
乗り移るための、世界初の膨張式滑り台も完備←飛行機の
脱出用滑り台みたいなモノかなぁ(^-^;
消火装置は火災報知器・スプリンクラー。
いまでは当たり前ですが50年前は最新式ですよぉ
海面より下の場所は多くの区画に分かれていて
2区画浸水してOK←浸水はダメですけどぉ
エンジンも強力です( ̄ー+ ̄)
1,600制動馬力×4台×2系統ある(* ̄ー ̄*)
4つに1つにまとまり1つのスクリューを回します。
↑これは羊蹄丸さん( ̄▽ ̄)
大時化(おおしけ)の時に速力の維持が大切。津軽丸でも海峡で
波に船首を向けることが出来なければ大変なことに
なのでエンジンは一番大切な安全装置。合計6,400馬力で進めます。
船底はたくさんの区画に分かれていて津軽丸の本当の心臓部です。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…
さてさて、お話しを戻して聖火リレーは函館市内に入ります。
そして、国鉄函館駅の連絡船乗り場
最新鋭津軽丸がピカピカでお待ちかね( ̄ー ̄)ニヤリ
9月17日朝。
函館港8時10分出帆―青森12時50分着の4時間40分でしたが。
106便は聖火リレーにあわせてで函館発を9時出帆ですヽ(´▽`)/
護衛は海上自衛の駆逐艦「あきたか」「くまたか」が左右に着きます
最新鋭津軽丸は速力を上げて青函間を3時間50分運航です。
津軽丸のマストには五輪旗が翻ります。
午前11時。汽笛が鳴り、ファンファーレの船内放送。
北海道側の最終走者が掲げる聖火を青森県側第1走者のトーチへ。
津軽丸は12時50分に定時に到着。青森駅桟橋に接岸。
青森港に停泊中の全船からお祝いの汽笛が一斉にまり響きました。
そして青森県からは聖火が二手に分かれます。
1つは日本海側の秋田県まわり・
1つは太平洋側の岩手県まわり。
そして東京へ( ̄▽ ̄)
もうすぐ昭和39年10月にはいります。
つづく。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…
津軽丸は1番早く引退して・・・なぜか北朝鮮に売られてしまいました。
その後の行方は知れず・・・はぁ・・・悲しすぎるil||li _| ̄|○ il||li
次女の八甲田丸は青森港にいらっしゃいます。
こちらも、ことし50歳です。でも潮風が当たる船ですから
痛みが大きいです。雪も物凄いので維持が大変゚゚(´O`)°゚
皆様にお願いです。
どうぞ青森に行く機会がありましたら八甲田丸の見学如何ですか?
大人500年・高校中学生300円・子ども100円です
国内に2隻しか保存さえていない大切な船。
どうか乗ってみてください
« YS-11正式飛行50周年 聖火を沖縄から日本へ 昭和39年9月9日 | トップページ | JNR 東海道新幹線 開業50周年 昭和39年10月1日 »
「 連絡船(青函・宇高航路)」カテゴリの記事
- 日本で唯一! 船のなかにある鐡道車両展示場!! 青函連絡船八甲田丸 (2019.07.15)
- 列車と連絡船を繋ぐ鐡道施設 可動橋のお話しだよぉ!!(2019.07.07)
- 青函連絡船の輝きが残る青森駅のホームだよぉ!(2019.07.03)
- 海を走る鉄道 青函連絡船の残り香をもとめて函館駅と摩周丸(2019.06.16)
- 宇高連絡船の残り香を探して 宇野駅-高松駅&マリンライナーさん(2017.05.07)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« YS-11正式飛行50周年 聖火を沖縄から日本へ 昭和39年9月9日 | トップページ | JNR 東海道新幹線 開業50周年 昭和39年10月1日 »
こんにちは~。モモパパです。
青函連絡船。
一度だけ乗ったことがあります。
津軽丸じゃなくって僕の記憶では八甲田丸だった覚えがありますが。
その後、北海道へ行った時は青函トンネルをくぐって。
そしてANAの飛行機で新千歳空港へ。
北海道。
行きたいな~。
投稿: モモのパパ | 2014年9月29日 (月曜日) 08時59分
こんばんは
学生時代、何度も北海道を旅しました。
当時の国鉄のワイド周遊券を利用・・・ですから当然、青函連絡船には何度となくお世話になりました。
八甲田丸、洞爺丸、羊蹄丸・・・他にどんな名前があったかな?
社会人になり、北海道はますます遠くになり、気がつけばトンネルが開通し連絡船は・・・(;_;)グスン!でした。
投稿: 慕辺未行 | 2014年9月29日 (月曜日) 22時55分
モモパパさん。慕辺未行 さん。書き込み本当にありがとうございます。青函連絡船が最後に運行されていた時は小学生・・・。
でも、凄く話題になっていて親に頼んで青森まで行きました(笑)
船が好きだったので大きな船がたくさん運行していて嬉しかった思い出があります。
社会人になってから東京にも羊蹄丸が来てくれたので手軽に観れましたが2年前に解体されてしまいました。
あの綺麗な容姿の船に会いに行くには、また青森へ・・・はぁ遠いなぁ・・・。
投稿: 朝比奈ひなた | 2014年9月30日 (火曜日) 00時17分