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2014年10月14日 (火曜日)

第142回鐡道記念日 鐡道史のエトセトラ

第142回鐡道記念日にエトセトラの文章をかきませう( ̄▽ ̄)
  そんな訳で思いつくままに筆を取ってみたいと思います。

あまり形式だって書いてしまうと大学の論文になってしまうので砕いて
思い付きで書いてみます。長文ですが御付き合いくださいな( ̄▽ ̄)

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「日本で初めての鐡道のお話し」

10月14日は鐡道記念日。なぜ? それは日本の鐡道が初めて
走った日だからと答えた方は50点を差し上げます。赤点ですね。

我が国の鐡道が初めて走った日は実は良くわからないのですぉ。
実は明治政府が鉄道建設をする前に、慶応元年(1865)長崎市で
グラバーが小規模の遊覧鐡道を施設した記録があります。
グラバーはイギリス製アイアンデューク号という名の蒸気機関車
を上海で購入し長崎で走らせます。そして、今の大浦海岸通りに
人が乗れる客車2両を連結して走り出しました。
遊覧鐡道としては日本初です

その運転を始めた日付は不明なのです。鐡道は奥が深い・・・。
長崎には「日本鉄道発祥の碑」がたっています

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「初の実用的な蒸気機関車のおはなし」

明治政府も新橋駅(汐留)―横浜(桜木町)間の建設を始めます。
鐡道資材から車両まで全て英国製です。これには裏がありました。

江戸幕府はアメリカからの提案で無料で日本に鐡道を建設する案
に同意していました。でも明治政府はその危険性に気がつきます。

その様子を見ていたのが英国です。日本にこっそりと提案します。
「鐡道は日本政府が建設してください。代りに鐡道資材は英国製で
お願いします。建設のお手伝いもしますよぉ」これで決まりました
1

そして、明治3年(1870)3月に建設スタート。明治5年(1872)5月7日
品川駅(現在と同じ)―横浜駅(桜木町)間が仮開業します。なので
開業式典前に普通の方々も鐡道を体験します。

さて、当時の蒸気機関車は英国との約束通りすべて英国製です
開業用に10両を輸入しましたが、みな同じ形ではありません5種類
あるうち有名なのは↑のバルカン・ファウンドリー社 の1号機関車

この車両が1号機関車と呼ばれるかと言えば一番早く日本に到着し
たから。う~ん。単純ですねぇ_| ̄|○

しかし、ここにも裏があるのですよぉ。この機関車の開業時の色が?
博物館で展示しているから、開業時からこの色と思いきやです。
実は不明なんです∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

この展示の色は明治中期ごろの色を再現しています。
錦絵・白黒写真では解らない( ̄▽ ̄)
鐡道史の謎の一つです

あと実際の形がだいぶ改造されて異なるのです
まだ↓こちらの方が当時の原型を保っております∑(゚∇゚|||)
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官営鉄道当時は23号機関車。開業に遅れる事の2年後に走ります。
もちろん、この機関車も新橋駅―横浜駅間も爆走しておりました。

今も現役Σ(゚□゚(゚□゚*) 愛知県の明治村で元気よく走っていますよぉ。

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「新橋停車場のおはなし」

明治5年(1872)10月14日に新橋―横浜間約29km開通式典が開催
この時お召し列車が10:00に新橋駅を出発します。ここにも裏があり
明治天皇は仮営業の横浜―品川間をご乗車されていたので2度目の
ことになります。

そのときの駅舎が忠実に復元され当時の位置にございます。

↓旧新橋駅駅舎です(平成15年(2003)4月10日 復元)
  木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎です。
  設計はリチャード・ブリジェンス(Richard P. Bridgens)さん
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かなり旅客駅としては小規模こじんまりしています。
ああっ。もちろん新橋駅の構内には機関車の車庫も鐡道工場も
官舎も敷地に有ったので広かったのですが、旅客駅舎としては
やっぱり小さい。この規模で42年間も東京のターミナル駅として
活躍したのだから凄い
Photo_9

↑クリックすると大きな図面になりますよぉ

でも駅舎は旅客の増加に対応して、駅舎全体を旅客用にする
努力で耐えれましたが旅客用ホームは150mのモノが1本だけ。
1番線と2番線だけの簡単なホームだけぇ・・・Σ( ̄ロ ̄lll)

やっぱり、と言うか開業17年後の明治22年(1889)には
限界を迎えました
Photo_10

↑クリックすると大きな図面になりますよぉ

旅客用ホームを1本増設して1番線~4番線まで用意します
この形で東京駅移転まで列車をさばいておりました。
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現在は四方を巨大なビルに囲まれて凄いことになっています。
ビルとビルにギリギリまではさまれていて景観などは期待不可
札幌の時計台状態です_ノフ○ グッタリ
でも、この角度からだと駅の大きさが解ると思います。小さいなぁ

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「鐡道と街づくりのおはなし」

新橋駅の建設と付随して東京の街も作り直しました。
明治政府は東京の理想主義的な欧州直輸入の街づくりを始めます
↓当時の銀座通りです。完全に江戸時代を払拭して欧州のようです。
Ginnza

旧新橋駅の前の道を進むと西洋式の大通り「銀座通り」になります。
その道幅は27m当時の日本では常識外れの道幅でした( ̄ー+ ̄)
旧新橋駅の前に日本のメインストリートが直線で広がる。凄いです。

でも、本当はもっと野心的な計画でした
45mの道幅にレンガ建築が並び建つ銀座を通りを建設予定でした。
パリ・ロンドン・ニューヨークと負けない日本のメインストリートを作ろう
としていました。明治の男は考えることが大きいですねぇ。

45mの幅の銀座通りだったらパリのシャンゼリゼ大通りと同等です。
凄い惜しい事をしてしまいました。

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「鐡道とダイヤとレールのおはなし」


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開業してからの新橋駅―横浜駅間の時刻を見てみましょう。
1872年10月15日の開業日以降は1日9往復。所要時間は53分

それが明治15年3月16日(1882)には線路が複線化され( ̄▽ ̄)
運転回数が1日14往復。そのうち快速列車が3往復と、もう快速が
出てくる。凄すぎです

さて、こんな複雑な時刻ダイヤを作成した人は、もちろん英国人の
ウォルター・フィンチ・ページさん。この人が大活躍をします。
明治22年(1889)東海道本線全線開通までダイヤを一人作ります。
凄いなぁ(* ̄ー ̄*)
ページさんは25年間も官営鉄道の職にあり調査課長まで出世です

Pa072688a
当時写された新橋駅。
駅の言い方も新橋ステーションor新橋停車場などあやふやな時代
もっと不思議な言葉に「鐡道会所」とか「ステンショ」などありました。

英語と日本語混ざり合い不思議な鐡道用語が出来てしまいました。
改札口=ラッチ・信号旗=フライキなどなど意味不明ですねぇ。
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現在の旧新橋駅の名所
「鐡道記念物」0キロポストがございます。
なんども作り直されていますがぁ 立派ですねぇ( ̄ー+ ̄)
この1点から日本の本格的な鐡道が始まり現在に繋がります。
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さて、ここで明治時代のレールを見てみます。
ここまで見る人は少ないですが、とても大切なので見て
おもしろい形しています。いまのレールの断面と違うでしょ

本当はもっと解りやすいのですが・・・実は上下同じ形なの
何故かと言うと、摩耗したら線路を反対側にすれば再利用
もう1回使える。双頭のレールなのです。
レールも英国からの輸入品。
高いので凄く倹約したレールと使用しているのでした。

鐡道開業のお話をしてきましたが、私の知識の源はといえば
国鉄文書課員・国鉄中央学園・昭和鉄道高校で教鞭をとられた
沢和哉さんの本が非常に正確で、日本国有百年史もお書きに
なられた歴史家です。私は基礎資料として推奨しております。

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「鐡道博物館とわたしのおはなし」


旧新橋駅の建物を大切に管理しながら
鐡道史を展示しているのが「鐡道歴史展示室」さんです。
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東京で最も優れた鐡道史を扱っている展示室です。

とても狭いですがお勧めです なにしろ優れた企画展・入場料は
無料・企画展毎に700円位の手頃なパンフレットが売られています。
内容ギッシリと重要事項が書きこまれて企画力・調査力抜群です

ちなみに、わたくしが博物館の入場料を物凄くにこだわるのは1つの
大きな理由があります( ̄▽ ̄) お金ないのは大前提なのですが

初めて英国(イングランド)に旅行した時にのお話です。
世界最大規模のヨークにある英国国立鉄道博物館に行きました
Photo
入り口でチケットを買おうとウロウロしていたら、不憫だと思ったのか
話しかけられました。そこで「Ticket counter 」はどこ?と聞いたら

「No charge」無料だよぉ。と言われました。びっくりですΣ( ̄ロ ̄lll)
しかも、「貴女にお金の余裕があるのなら、貧しい子供たちの募金を
しているので「寄付」してねぇ」と言われました。

どれも美しい機関車や展示。それが無料なのは驚愕しました
そして、その規模です。広いとい形容詞では語れません。馬鹿みたい
に広い。そして展示車両の多さ。大宮の鉄道博物館の2倍はあります。

あんな大規模な施設なのに自由に見れる勉強できる。見学できる。
英国の文化では進んでいる。初めて文化の本当の神髄を感じました

noble obligation(ノウブル・オブリゲイシュン)と言う英語があります。
どう訳して良いのか。う~ん。「名誉ある者は義務をはたす」かなぁ。
もとはフランス語なので難しい。

英国では社会的に地位がある方。人より金銭に恵まれた人は率先し
て社会へ奉仕をすることが義務のようになっています。金銭的に余裕
のない人は不要な物をバザーに提供してお金を寄付します。

この寄付は多岐にわたり。大学財団に。博物館に。もっと身近な例なら
保存鐡道の運営団体に寄付する。そして大切なのは寄付は見返りを求
めない精神です。キリスト教的精神かも知れません。

わたしも都内にある美術館の会員を10年しています。
会費以外に寄付も年、数千円しか提供できません_| ̄|○
でも、名誉ある者になりたいと思っています。

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「鐡道文学のおはなし」
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エトセトラに鐡道史をお話をしています。最後に文学のお話を
小説・隋筆の世界にも旧新橋駅停車場は多く登場しています。
特に克明に描いている人・・・・

鐡道が超大好きなぁ。百鬼園先生こと内田百閒さん。
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簡単なプロフィールを
内田百閒(本名 内田栄造)
明治22年(1889)5月29日 - 昭和46年(1971)4月20日
岡山県生まれ。東京帝国大学卒業。夏目漱石の門下生のエリート!
陸軍士官学校独逸語教官。法政大学教授。凄い肩書なのに借金苦
絶えず借金取りに追われる始末。とにかく頑固者だけどユーモアに
溢れた文章。また随筆家としては高く評価されています。

ただ、百鬼園先生は一筋縄ではいかぬお方です。
日本藝術院会員に推薦された時の辞退した一言は有名な
「イヤナモノハ イヤダ」は特に有名←単に私が好きなだけかも
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また鐡道開業80周年の時には1日東京駅名誉駅長に就任
東京駅駅務員一同に訓示を述べます(旧仮名使いで書きます)

訓示
命二依リ。本日着任ス。
部下ノ諸職員ハ。鐵道精神ノ本義二徹シ。眼中貨物族客無ク。
一意ソノ本分ヲ盡クシ。以ツテ規律二服スルヲ要ス。

規律ノ爲ニハ。千頓ノ貨物ヲ雨ザラシニシ。百人ノ族客ヲ礫殺
スルモ差閊ヘナイ。本驛二於ケル貨物トハ厄介荷物ノ集積デアリ。
族客ハ一所二落チツイテヰラレナイ馬鹿ノ群衆デアル。

職員ガコノ事ヲ辮(ワキマ)ヘズ。鐵道精神ヲ逸脱シテ。
サアヴィスニ走リ。ソノ枝葉末節二拘泥シ。コレヲコレ勤メテ以ツテ
足レリトスル如キアラバ。鐵道八十年ノ歴史ハ。
條忽(シユクコツ)ニシテ。鐵路ノ錆ト化スルデアラウ。

抑モサアヴィスノ事タル。已二泰西ノ強國ニアリテハ。
カクノ如キヲ顧ル者ナク。人民ナル族客ガコレヲ期待スルハ。
分ヲ知ラザルノ甚ダシイモノデアル。愚圖愚圖申スヤカラハ。
汽車二乗セテヤラナクテモヨロシイ。

コノ理想ヲ實現セシムル爲。
本職ハ身ヲ挺(ヌキン)デテソノ職二アタラントス。

部下ノ諸職員ニシテ。勤務不勉勵ナル者アラバ。
秋霜烈日。寸毫モ假借スル所ナク。直二處断スル。

諸子ハ驛長ノ意圖スル所二從ヒ。
粉骨砕身。苟(イヤシク)モ規律二戻ル如キ事ガアツテハナラン。

驛長ノ指示二背ク者ハ。
八十年ノ功績アリトモ。
明日馘首(クワクシユ)スル。

鐵道八十年十月十五日
東京驛名讐騨長
從五位 内田榮造

さすが、百鬼園先生。無茶苦茶です。この文章のホントの面白い所は
最後の「明日に斬首する」百鬼園先生は1日駅長さんですから明日は
無役なので斬首はできない こんなところに面白さがあります。

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小説「続・百鬼園隋筆」には面白いことが克明にかいてあります。
不正乗車と間違われた百鬼園先生\(*`∧´)/
駅員に連れられて新橋駅停車場の駅事務室に向かいます。

~正面玄関右手にある駅長室に這入った。途途、私は不都合な駅員
を引き立てて行くつもりで歩いていたけ向こうでは私の護送する了見で
目を離さずに、ついて来たに違いない。
駅長室は恐ろしくだだっ広くて、部屋の隅がはっきりしない様だった。
その真中に椅子を据えて、肥った駅長が、こちらを見ていた・・・・・。

上の写真から見ると左側の1階の部屋が駅長室だったことが解ります。
さて、百鬼園先生の反撃は・・・小説をお読みくださいねぇ( ̄▽ ̄)

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さて、旧新橋駅からの帰り道に岡山県・鳥取県のアンテナショップが
できました。本当に因縁めいた場所に作るなぁと思ったのは( ̄ー+ ̄)
百鬼園先生の大好物が売っているのです。
「大手まんじゅう」(゚▽゚*) 内田百閒ファンならお馴染みですねぇ

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岡山県の銘菓「大手まんじゅう」これも小説に登場します。

小説「第二阿呆列車」春光山陽特別阿呆列車より

百間川の鉄橋をすぎ岡山へついた。
いつも岡山に通る時には、車外に出て歩廊を歩いて見るのだが
今日は混雑してそうだから、よそうと思う・・・・。

座席でじっとしていると、向こうの窓をどんどん叩くモノがある。
幼馴染の真さんがそこに立っていた・・・・。

ここから、博多、八代へ行くとこなのに、東京へ持って帰る土産の
大手まんじゅうを箱入りと竹の皮包みと、私が時時夢に見る程好
きな事を知っているものだから、持ち重りする位どっさり持ってき
てくれた。饅頭に圧し潰されそうだが、大手まんじゅうなら潰され
てもよい・・・・・ 後は小説をお読みください。
Ahou
さて、百鬼園先生。鐡道記念日にこの様な駄文を書きましたが
いかがでしたでしょうか? お気に召しましたでしょうか( ̄▽ ̄)

たぶん答えは「女子供が鐡道の記事をかくなど不埒なことだぁ」と
例のしかめっ面して不機嫌になる。それでこそ百鬼園先生です 

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…

第142回鐡道記念日に思いつくままに文章を書いてみました。
ご感想などあればコメント欄に書き込みをお願いします。

朝比奈ひなた
10月13日 深夜

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コメント

こんにちは。モモパパです。
鉄道史にお詳しいんですね。
さすが!
勉強になりました。
内田百鬼園。
僕、「阿房列車」を何度読み直したことか・・・。
好きな随筆家でありますよ。

モモパパさん。書き込みありがとうございます。私も百鬼園先生が大好きですが、もし会社の上司だったら大変そうです(笑)

我が侭で理不尽ですが、文章はユーモア―センスで均等がとれ
ていて随筆は日本一だと思います。

でも、一緒に旅行するのは凄く疲れそう( ̄▽ ̄)

 地元・岡山の百鬼園先生を取り上げていただきとっても嬉しいです。それにしても、ひなたさんはほんと鉄道が好きで、なんでもよく知ってるのですね!。大手饅頭もありがとうございまっす。できたての温かいのが一番美味しいですが、硬くなったおまんじゅうを“チン”して温め直して食べても美味しんですよ

ロコさん。書き込みありがとうございます。近場、大手まんじゅうが買えるので嬉しい。また、美味しい食べ方もありがとうございます。さっそく試してみますねぇ(嬉しい)
そうそう、私が鐡道が好きかなぁ?と思い始めたのは高校時代からなんです。ちょうど駅のアルバイトをしている時に働いてる人たちが好きで、それから鐡道って面白いと思い始めました。大学では旅行研で部長などして、今も乗り物関係の仕事。知らない間にたくさんの鐡道を愛してる人と出会い、朱に交われば赤くなりました(笑)
ブログ鐡道趣味は解りやすく親しみのもてる文章で書いています。鐡道に興味ない人が気楽に見れる鐡道ブログを!!そんな思いで日々書いています。
ロコさまも、お暇の時の暇なときに覗いて下なぁ!!

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