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2015年4月20日 (月曜日)

Sibuya駅のランドマーク 玉電ビル・東急会館~

なんだか渋谷駅に来ると、いつも景色が変わっていて困ります。まさに渋谷駅周辺は建て替え工事の真っ最中で、あちこち工事知っていた景色が消えて行きます。もともと、わたしは東京でも辺境の貧民街育ちなもんで渋谷なんて子供の頃はぜんぜん行かなかったし、それが嫌で遠くの世田谷の高校に進学したんだからねぇ・・・あの貧乏空間は嫌だ~よぉ。

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なので、私にとっての渋谷は高校・大学時代にようやく貧民街から脱した良き遊び場でございました。この景色もよく見てましたねぇ!

さて、今の渋谷駅の原型を見てみると、昭和9年(1934)に東横線渋谷駅に東横百貨店(東急百貨店東横店東館)が、出来たころに遡りますよぉ!!東京では本格的規模のターミナル百貨店として登場しました(゚▽゚*)この建物を設計したのは渡辺仁さんでした。
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渡辺仁さん・・・誰っ 凄い有名な人ですよぉ~あの銀座の和光時計台がある建物を設計した人です。あと昔の日劇(日本劇場)とか横浜の山下公園前のホテルニューグランドなどなど超~有名設計者なんですよぉ。その作品でもある東急百貨店東館も平成25年に建て壊し残念
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上の絵本は渋谷駅南口から見た昭和15年代の渋谷駅ですねぇ。東横百貨店(東急百貨店東横店東館)が大きく描かれています。とての興味深いのは、渋谷駅の東急百貨店東横店西館が変だぁそれもそうなんですよぉ!!当初は玉電ビルディングと言う玉川電気鉄道と言う会社のビル。昭和10年には建設スタート。当時として高層な6階建て駅ビル!しかも、交通の要所でもある渋谷駅の要として凄い設計でした
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ビル2階には玉電渋谷駅(後の東急玉川線)と省線(後の国鉄線)3階には東京高速鉄道線(後の営団銀座線)の渋谷駅が出来ます。
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凄く立体的な駅として建設しましたが・・・建設時期が悪かった・・・。昭和13年には玉川電気鉄道は東急に買収され・・・・しかも、泥沼の
日中戦争で資材統制になり中途半端な3階建ての仮建築に絵本では中途半端な仮建築の3階建て時代が描かれていますねぇ。この中途半端な状態を昭和29年(1954)に増築して東急会館として使用しようと考えました。その設計には坂倉準三さんと言う建築家が選ばれました!!
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さすが世界的に有名なル・コルビジェさんの門下生さんだけある。独特な世界観ですねぇ。坂倉準三さんは新宿駅西口広場の設計しています。それに品川駅にある京浜急行のホテルパシフィック東京も手掛けています。まさに都市建築の第一者さんです。でも、出来あがった東急会館は好みが分れる建物ですよねぇ!!南口に面した部分に飾りが一切ないコンクリート打ちぱなしみたい。この感じ凄く好みの分れる部分かと思います。
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さて、出来上がった東急会館は地上11階建て地下2階の大建築!しかも、渋谷駅として機能・百貨店としての機能。そして劇場もある1つのビルに都市を凝縮したビルとして再び生まれ変わりました!
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↑クリックすると大きくなります!!
   
ビル内部に3つの鉄道駅改札が凄い!!
    路面電車である玉川線が百貨店の駅ビルに直接アクセス!
    しかも、改札を出ると直ぐに山手線玉川口改札という便利さ。

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さて、その後の東急会館も改良に次ぐ改良でした(* ̄ー ̄*)2階にあった東急玉川線の渋谷駅は昭和44年(1969)5月11日廃止に伴い駅舎の改札部分は通路になりました。

東急会館の劇場は昭和60年(1985)まで使用された後は百貨店として改装されました。けっこう無理やりな改装だったので・・・今でも9・10階部分に痕跡があったりします。そして最後に設計した坂倉準三さんは、この東急会館を手始めに東口の東急文化会館・南口の東急百貨店南館・京王帝都電鉄の渋谷駅などなど坂倉準三さんが描いた「渋谷総合計画」を元に今の渋谷駅が出来上がってます。私が知る渋谷はこの人が作ったモノです。
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でもねぇ。渋谷駅周辺は新しい時代の建物に変わろうとしています。
つまり、坂倉準三さんが設計した作品群が消える事でもあります!

追加記事:令和2年(2020)9月5日作成
いままでありがとう!! 玉電渋谷駅~消える東急百貨店東横店西館」

 

 

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東京急行(TKK)」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
渋谷はいつ行っても迷路のようです。私もずっと苦手でした。特に東横線が地下化され、地上の位置関係が余計に分からなくなりました。
私が幼い頃は両親が東横デパート(後の東急東横店)によく連れて行ってもらったようですが、その東横店も店じまいで生まれ変わるようで、益々迷い子になりそうです。

こんにちは~。モモパパです。
渋谷駅も僕が知ってる頃とはずいぶん変わっちゃったんだろうな~。
よく渋谷には行ってましたけど。
渋谷駅の歴史。
勉強になりました。
あの宮脇俊三さんも渋谷駅近辺育ちとご自身の本に書かれてたのですが昔の渋谷駅はひなびた雰囲気が漂ってたんですね~。

快速特急さん。
書き込みありがとうございます。
本当に東横線が地下に行ってから道順が
東京都民なのに迷うなんてぇ・・・
ちょっと恥ずかしい・・・しかも遊び慣れた渋谷駅で
あと数年で面影が無い程に生まれ変わるのかなぁ?
二子玉川園駅みたいに!!

モモパパさん。
書き込みありがとうございます。
かなり渋谷変わっちゃいました・・・。
東横のれん街も・・・なぜか京王井の頭線の近くに
もぉ・・・1から覚え直しだぁ・・・

ありがとうございます。
大変興味深く拝見しました。
●私は60台の定年オヤジですが、渋谷区立大和田小学校(東横デパート至近。現廃校)に通っていたので、東横(西館)の威容が大好きだったのです。
●西館(11階建の高層ビル。東横歌舞伎で有名だった「東横ホール」)は終戦前からあったと思い込んでいたのですが、戦後(1954年)の増築だったのですね!<子供の頃、誰かが「西館は、戦時中、目立つ高層ビルなので、空襲に備えてビルの外壁が迷彩色に塗られていた」なんて言っていたのを鵜呑みにしていました>
●ということは、1939年の地下鉄銀座線渋谷駅の開業から15年間は3階止まりの中途半端なビルだったわけですね・・・。確かにそう思って見ると、4階以上の部分が独特でいかにも増築っぽいですね。
東横ホールで観劇していると、銀座線の騒音が小さく響いて来たものですが、これも増築ならではかも知れませんね。
西館が解体されてしまうのがとても淋しいです。

シェルティーのパパさん。書き込みありがとうございます

渋谷駅は東京山の手地域の出入り口だけあって駅の歴史も
深いですねぇ、わたしも戦前渋谷駅の事は本で得た知識しか
ないけど古い資料を探すと絶えず新しい発見があって愉しぃ!

ただ私が知る渋谷駅が段々と消えて行くのは悲しい限りでぇ
また今の渋谷駅の特集記事でも書きたいなぁ

そして、この拙いブログですが読んで頂いて嬉しいです(≧∇≦)
また宜しければ書き込みなど気軽にしてくださいねぇ
(* ̄0 ̄)ノ

大変興味深く拝見しました。戦前の渋谷駅が描かれた絵本の題名を教えていただけますか?

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