京浜急行に併用軌道があった時代の話し〜宮松コレクションで見る(Ⅳ)
今回の鐡道趣味は1万アクセス記念記事
「京浜急行に併用軌道があった時代」と題して大正後期から
昭和30年代までの京浜品川駅・北品川駅・旧高輪駅につい
て触れていきますよ(≧∇≦)
なんてぇ〜真面目に書いていると非常に疲れてしまします
でもでも・・・1万ACCESS記念なのでメンドクサイ∑(゚∇゚|||)
けど真面目な文章で書いてみます。果たして最後まで持つの
かこうご期待でございます(  ̄^ ̄)ゞラジャ
文頭にあたりまして
貴重な宮松コレクションの貸し出しを今回も宮松慶夫さまに
お願い致しましたし。本当にありがとうございます(≧∇≦)
【↑写真中央の洋館が初代品川駅 品川停留場】
【↑ 大正10年頃の八ツ山橋付近の鐡道図 】
明治32年(1899)1月21日に六郷橋〜大師間を開通させた
大師電気鐡道は、早くも同年4月25日には会社名を「京浜
電気鐡道」に改称して京浜間への延伸を開始した。
開通2年後には東京方面の起点を大森停車場前(現・JR
線路延伸工事も鋭意進められた。
時に明治37年5月8日に念願の大森海岸駅~初代品川駅
(品川停留場)が開業した。この初代品川駅は現在の北品
川駅先のアンダーパス付近に当たる。
【 ↑平成28年現在の初代京浜品川駅跡地】
現在は道路になっていて当時を思い起こす物は一切ない。
しかし開業した初代品川駅は根本的な問題点が存在した。
それは、当時の東京市の市域範囲は八ツ山橋を越えた先
で本格的な東京市中心部との交通が接続していなかった。
従って、初代品川駅は中途半端な駅として、早くも品川駅
から先の路線計画が必要になった。
この動きとは別に東京電車鐡道(後の東京市電)は明治36
年(1903)8月22日に八ツ山(品川)橋北端から品川駅前を
通り新橋まで開業させた。
このように八ツ山橋を境にして2つの鐡道が向かい合う状態
になり乗客は徒歩にて橋を越えて移動することになった。
すぐにでも東京市電と京浜電鉄は乗入れる位置ではあった
が話はスムーズに進まなかった。これには東京市内に市電
以外の鐵道が入り込む事に抵抗があった事があげられる。
その為に京浜電鉄は対抗策として初代品川駅から東京市域
の外周を沿うように走る新線「青山線」を計画した。この線は
経由地を大きく変えながらも、高輪-白金台を経由して渋谷
(青山)まで結ぶ免許を明治44年11月7日に取得した。※
※その後も免許取得後も路線変更が度々行われているので注意!!
【↑超おおまかなぁ~京浜電鉄青山線予定線 大正8年免許時】
この青山線免許の要は「東京電車鐡道(後・東京市電)の一部
区間(八ツ山橋北詰―高輪南町先)」を京浜電鉄が乗り入れる
ことを大前提して京浜電鉄青山線の計画ができている点である。
そこで、まず八ツ山橋を越えるために、京浜電鉄は新八ッ山
橋架橋工事に分担金を支払い併用軌道の線路を設置した。
新らしい橋は大正3年(1914)6月に竣工したが話はこれから
3年間も迷走することになる。
【↑八ツ山橋両方に併用軌道の線路が確認できるねぇ。】
何故かと言えば初代品川駅から先の計画線である青山線の
高輪に至る乗入れについて東京市電との話し合いが紛糾して
いたからである。
そして結果として大正6年(1917)12月25日に東京市電と契約
を締結することに成功した。この内容は下記の通りで。
1.東京市電は京浜電鉄青山線延伸の為に旅客の利便の為に
高輪南町25番先までの市電線路を共用する。
2.将来的に京浜電鉄が東京市電(高輪付近まで)に乗入れる。
このように東京市電の京浜電鉄への乗り入れを優先させたが
話は簡単に進まない。こんどは青山線の駅である高輪駅建設
予定地の買収がまったく進まなかった。
ようやく5年後の大正11年(1922)になって省線品川駅前の毛利
侯爵邸(現・ウイング高輪ウエスト)の一部の譲渡が決まった。
この年の大正11年(1922)1月25日には契約に基づき東京市電
は八ツ山橋を越えて京浜電鉄品川駅前まで線路が到達した。
しかし、ここで更に不運に見舞われる。 翌年の大正12年9月に
発生した関東大震災である。その後の復興計画で京浜電鉄の
品川駅が京浜新国道建設工事の用地に指定されてしまう。
そこで明治37年5月8日以来使用してきた京浜電鉄品川駅から
南に約200mの場所に大正13年3月29日品川駅を移設した。
(↓2代目品川駅・現北品川駅 地図参照)
【↑ 大正13年頃の八ツ山橋付近の鐡道図 】
同日に東京市電は2代目京浜品川駅までの区間を東京市電
延伸線として開業させて京浜品川駅への乗り入れを開始した。
ただ、この乗り入れは東京市電のみの一方通行的な乗り入れ
であった。
そして約1年後、大正14年(1925)3月11日に京浜電鉄の悲願
であった東京市部への乗り入れになる京浜青山線の延伸部分
品川駅~高輪駅間の※7チェーンが開業した。
これにより、これまで一方通行的な乗入から、市電・京浜の一
部区間での相互乗り入れの時代がスタートした。
※7チェーン=約141m 線路の大半は東京市電の線路の為短い距離に。
あああっ~もう無理 真面目に書くのは会社だけにしよぉ!
そんな訳で東京市電と京浜電鉄の乗り入れ以降の話しわぁ
ゆるく書きますよぉΣ( ̄ロ ̄lll) いいのぉ・・・疲れたしぃ
【写真X↑ 写真は北品川駅から高輪駅方面を望む】
さて、時は下りまして昭和6年(1931)3月1日に宮松金次郎さん
は京浜電鉄北品川駅に電車を撮影しに来ていますよぉ~!!
この時の北品川駅は交通のジャンクションともいえる要衝です。
なんといっても京浜電鉄の終点は高輪駅なので都心へは乗換
が必要なのですぉ。そこで東京市電と同じホームで乗り換えら
れる北品川駅は便利な駅として機能していました。
【↑昭和6年頃の北品川駅構内図をひなたさんがアレンジしたよ】
宮松金次郎さんの写真Xを見ながら説明するよぉ(´∀`)ノ
まず下り線に東京市電400形408号車さん。この電車は
東京市電ではなんとぉ~200両も製作された小さな木造
電車さんです。 この電車がいまぁ北品川駅の東京市電
ホームへ渡るポイントを曲がろうとしています。
そして上り線には京浜電鉄29号形31号車さんが北品川
駅を出発して終点の高輪駅へ向かおうとしていますよぉ
この京浜電鉄29号形電車さんは大正2年生まれで12両
作られた木造電車ですけど横にいる東京市電400形とぉ
比べるとデカいですΣ(・ω・ノ)ノ!
さて、この日は宮松金次郎さんは京浜電鉄と東京市電が
乗り入れる北品川駅~高輪駅の区間を撮影しようとぉ!
カメラ担いで撮影活動を開始しています(≧∇≦)
【↑いまの地図に昭和6年当時の京浜・市電の路線図をひなたが書きました】
そこで宮松金次郎さんが昭和6年3月1日に撮影した場所を
ひなたも追って見てみますよぉ(゚▽゚*) すごく楽しみだぁ!!
↑上の地図。赤色で示されている線は京浜電鉄線の線路です
緑色で示されている線は東京市電の線路になりますよぉ!
八ツ山橋上から北品川駅までが京浜電鉄。そして高輪駅の
分岐点から高輪駅はもちろん京浜電鉄が管理していました
【↑写真A 北品川駅構内より高輪駅方面を望む】
先ほどのと同じ位置から、また1枚撮影していますよぉ(゚▽゚*)
こんども下り線に東京市電400形が北品川駅の市電ホーム
に進入しようとしています。そして直ぐ後ろには京浜電鉄の
デ51形56号車さんが、急行電車として北品川駅に近づいて
来てるよぉ
このデ51形電車さんは見た目は、当時の伝統的な京浜電車
の形ですが実は木造製ではなく、なんと半分は金属で出来た
最新鋭電車なんです。京浜電鉄では20両も作られた電車で
なんと昭和40年3月まで活躍した凄いヤツですΣ(・ω・ノ)ノ!
それにしても宮松さん。もしかしたら急行電車を狙って撮影?
しかも市電と一緒に収めたかったのかも知れませんねぇ
【↑写真B 八ツ山橋北側より省線品川駅方面を望む】
宮松金次郎さんはカメラ担いで北品川駅から八ツ山橋を越
えた付近を次の撮影ポイント選んだみたいですよぉ(≧∇≦)
併用軌道を北品川駅方面に走るのは京浜29形39号車さん。
こうしてみるとぉ・・・やっぱりデカいですねえぇ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
さて、この写真は不思議な点があります。電車が動く為には
電気が必要なんですが、その電線が線路1つに対して2本も
あります。あんまり意味ないような気がするのぉ だよねぇ。
でもぉ~必要あるんですよぉ( ̄ー+ ̄)
実は、京浜電鉄用の電線と市電用の電線に分けてあるので
2本必要なんです。にたような場所は城東電軌の「東陽公園
から豊洲」 あたりの共同使用区間にも見られた作りだそうで
宮松慶夫さんに教えて頂きました。 さんくす♪(o ̄∇ ̄)/
【↑写真C 第一京浜国道併用軌道から高輪駅への分岐】
さてさて、宮松金次郎さんはテクテク歩いて省線品川駅まで
あと僅かの地点で止まりました。ここは京浜電鉄の高輪駅へ
分岐するポイントがある位置です(*^ー゚)bグッジョブ!!
さすがぁ~凄く良い撮影ポイントを選んでますよぉ(・∀・)イイ!
写真を見ると上り線の先頭には東京市電400形416号車さん
が3系統の札を掲げて走っています。昭和6年当時の3系統
は「北品川-品川駅前-天現寺橋-青山一丁目-四谷塩町」
を結んでいました。
ちなみに終点の「四谷塩町」は、いまの「四谷三丁目」だよ!
さて、市電400形の後ろにはポイントを曲がって終点高輪駅
へ向う京浜電鉄デ51形55号号車さん(急行電車)が来ます。
【↑昭和6年当時の京浜電鉄路線図 京浜急行90年史よりアレンジしたよぉ】
この当時(昭和6年当時)の京浜電鉄の急行電車は高輪駅~
横浜駅間を約36分で運転していました(゚▽゚*) まだまだ遅い
時代の京浜電鉄ですねぇil||li _| ̄|○ il||li
【↑写真C撮影地と同じ場所から撮影 平成28年現在】
ちょっと写真Cの場所から定点観測してみましたよぉ。もぉ~
一致する建造物などありません。けど道の幅と奥行きは同じ
なので全体的な雰囲気は感じられますがぁ・・・恐るべしです。
こんな、凄く苦労して東京市電に乗入れて高輪駅まで線路が
繋がったんですけど・・・結果はあんまり意味がない事に気が
付くという結果になりました。
何故かと言えばぁ~東京都心に行く人は北品川駅で乗換える
し省線(JR)品川駅に行く人も一部は高輪駅を使用しないでぇ
市電の品川駅前で降りる。なので北品川駅~高輪駅間わぁ!
思ったより利用されませんでした ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
しかも、省線品川駅(JR)と京浜高輪駅は道路を挟んで隣りな
ので乗り換えは徒歩連絡。そこで抜本的に京浜電鉄は考え直
しました┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
「もぉ・・・建設メドが建たない青山線をやめて直接、省線品川
駅横に乗り入れよう!!」そう決めたと係の人は決めました
そこで八ツ山橋の海寄りに京浜電鉄専用の八ツ山鉄橋を架け
そして省線品川車掌所の敷地に専用高架線を作って省線品川
駅舎横に地上3階地下1階の中規模ターミナルビルを作りました
【京濱デパート開店5周年誌より 開設当時の京浜品川駅】
とてもモダンな京浜電鉄品川駅(3代目)を建設しました。
この新京浜品川駅駅舎と新線(新京浜品川駅~八ツ山橋)
の工事と並行して超大規模工事が行われていました。
それは線路の幅を変える工事なんですよぉΣ(゚□゚(゚□゚*)
京浜電鉄は東京市電に乗入れるために同じ線路幅だった
のですが、もう市電とは縁を切って、黄金町から先に出来た
湘南電気鉄道が京浜電鉄に乗入できるように広い線路幅
に改軌しようと係の人は考えました。
そこで係の人は用意周到に新線「八ツ山橋〜新京浜品川駅
間は新しい広い線路幅で作っておいて、それ以外の所わぁ
随時変更していきました←凄いぞ係の人∑(=゚ω゚=;)
そして、昭和8年3月31日夜に大森海岸駅~北品川~八ツ山
橋新線接続位置まで1夜で線路幅を一気に変更しました
こうして、昭和8年(1933)4月1日に現在の品川駅へ乗り入れ
が開始されたのですがぁ「八ツ山橋から北品川駅」までの191
mだけぇ併用軌道が残ってしまった
【昭和22年12月20日撮影 国土地理院より】
でも、ここまで長々と書いてきたのでお判りでしょうがぁ!!!
元々は京浜電鉄の品川駅があった場所が道路になったので
好きで道路の上に電車を走らせている訳ではないのですよぉ
しかもぉ併用軌道の終端にはどちらも超急カーブですよぉ。
この急カーブを曲がる為には時速20キロで運行する必要も!
ここで係の人はあきらめました・・・今度にしよぉ・・・
【↑写真D 北品川駅から併用軌道に向かう直前】
さて、ここで宮松金次郎さんは15年後の昭和31年4月29日
併用軌道を走る京浜急行を撮影しに来ていますよぉ。
この2か月後には併用軌道は廃止になるので廃止まじかな
頃の写真撮影になりますよぉ。さてさて、写真Dは北品川駅
を出発した京浜急行420形(400形?)かなぁ。
この400形と420形はとても似ているんで難しい
これからノソノソと第一京浜国道を191m走っていきます!
【昭和31年当時の品川区地図 併用軌道が書かれている】
この併用軌道は実は問題児でもありました。特に法律的にも
問題でエライお役人様から改善条件が出されていました
もぉ~係の人は逃げれません やっぱり改良しよう!!!
【↑写真E 併用軌道を浦賀方面に走る京浜急行500形】
まで来ました。ここでカラー写真の撮影をします。 昭和30年代
初頭はカラー写真が珍しい時代でもあったので凄いですねぇ。
浦賀方面に走っていく電車は京浜急行500形電車さんです。
2両編成を2本つなげて4両編成の急行電車で活躍中の写真!
先頭は509号車+559号車の編成で後ろわぁ・・・観えないなぁ
この500形電車さんは戦後に作られた初めてのデラックス電車
なんと向い合せの座席を中央に配置したロマンスカーなのぉ。
当時は超巨大な愛称板を先頭に着けてブイブイ言わせていま
した。昭和30年代を代表する電車さんです。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…
さて、明治から昭和30年代まで北品川駅周辺の事がらを書いて
きました。最後に、この併用軌道は昭和31年6月17日に下り線・
そして6月27日に上り線が新線に切り替えられ同日併用軌道は
廃止されました。
そして、いま私たちが乗る線路に切り替わったのでした
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…
物凄い長文を読んで頂いてありがとうございました(≧m≦)
こんなに読んでもらったのに1つお願い事があります
実はなんですがぁ・・・今回掲出した「宮松コレクション」の写真
達があらゆる所で無数に許可なく掲出されているのですよぉ。
特に写真X・写真A・写真Cなど もし、写真を見かけたらねぇ
この写真は宮松金次郎さんの作品だぁ!!と思ってください
ちなみになんですがぁ京急電鉄公式HPの「京急歴史館」も
掲載されている。でも相談がないままの掲出なんですよぉ
Σ( ̄ロ ̄lll) Σ( ̄ロ ̄lll) Σ( ̄ロ ̄lll)
困ったもんだあぁ・・・本当に困った話でございますよぉ
※この写真は元京浜急行副社長日野原保さんに宮松金次郎
さんがお貸しになった作品なのです。とくに京浜急行80年史
には資料提供として「宮松コレクション鐡道趣味社」と記載が
あるんだけどぉ・・・なぁ・・・。いまは一切の記載が無いのぉ。
※ちなみに京急電鉄に掲出している写真より、こちらで掲出し
ている写真の方が原版だけあって百倍鮮明ですよぉ~!!
なので、このブログを読んだ皆様方
あの写真は宮松金次郎さんの写真だよぉと認識してもらえたら
凄く嬉しいです。 どうぞよろしくお願い致します(* ̄0 ̄)ノ
さて、鐡道趣味1万ACCESS記念記事を書き終えました。
もぉ~夜にしか寝れないほど頑張って書きましたΣ(・ω・ノ)
しかも調査ゆっくりしていたら既に1万ACCESSを越えてい
ましたよ。これからも、のんびりとブログ更新をしていきます。
どうぞ、よろしくです。それでわぁ (TωT)ノ~~~ バイバイ
文責 朝比奈ひなた
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はじめまして、あづまもぐらと申します。
京浜急行愛好歴半世紀超なるも、この度こちらのブログに辿り着きました。
非常に巧みにお纏めになられた記事に、大雑把な凝り性の私には感慨深く読み入るものでした。
迂闊にも京浜電鉄に直行電車の設定が為されていた事を知りませんでした。
京浜急行愛好者に向けて、新"PARLATA"なる掲示板があるのですが、そちらへの投稿に、本来事前承諾を戴くべき処、誤って貴女作成の昭和6年時点の運行図を掲出してしまい、事後ながら御承諾を戴くべくお伺い致しました。
何卒宜しく申し上げる次第です。
投稿: あづまもぐら | 2017年4月 5日 (水曜日) 01時26分
あづまもぐらさん。 書き込みありがとうございます
こんな辺鄙なブログを読んで頂いて嬉しい&恥ずかしい・・・・。
わたしの無駄知識で書いているブログなので愛好家の方
から見たら拙いかと思いますがぁ
お暇があればブログをまた覗いてみてください(*゚▽゚)ノ
宮松コレクション以外の写真&資料ならお知らせ頂ければ
OKです。わたしの無駄知識が役立てば幸いです´ω`)ノドモ
投稿: 朝比奈ひなた | 2017年4月 5日 (水曜日) 22時20分
とてもよく調査して書いてあります。
投稿: あかいでんしゃ | 2018年3月 1日 (木曜日) 02時05分
あかいでんしゃさん 書き込みありがとうございます。
また、こんな辺鄙なブログを読んで頂きありがとうございます。
こっそりブログを続けております。また、お暇なときに覗いてく
ださいねぇ。
投稿: 朝比奈ひなた | 2018年3月 5日 (月曜日) 23時20分