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2019年9月29日 (日曜日)

今に残る沖縄県営軽便鉄道の面影 那覇駅の転車台です!!

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日差しが気持ちよい沖縄本島那覇に帰ってきていますヽ(´▽`)/
お話は少し戻るんだけど、ゆいレールの旭橋駅から那覇バスタ
ーミナルへ進んでいたら面白い古代遺跡のようなものを発見した
よぉー。あれは何なのぉー( ̄д ̄)( ̄д ̄)( ̄д ̄)
Okinawa1-2
まずは場所の説明でございます♪(o ̄∇ ̄)/
ゆいレールの旭橋駅の改札を出て那覇バスターミナルへ続く歩
道橋を進み久茂地川を越えます。そして右側に降りる階段の下
に円形レンガ積みの古代遺跡があるんですよぉΣ( ̄ロ ̄lll)
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ひなたが見たものはこれ↑↑↑ 完全に謎の遺跡だよぉ!!!!
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 【↑謎の円形遺構が発掘された那覇バスターミナル工事現場】

実は今をさかのぼること3年前の平成27年(2015)に那覇バス
ターミナル新築工事で地面を掘っていたら不思議な遺構を工事
のおじさんが発見しました。なにやらレンガ造りの謎の円形遺構
をよく調べると鉄道の遺構だったのです。実は那覇バスターミナ
ルは沖縄戦前は沖縄県営軽便鉄道の始発駅の那覇駅があった
場所だったんだよぉ(´ω`*)
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    【↑発掘された古代遺跡のような鉄道施設】

掘り起こされた施設は蒸気機関車の向きを変える転車台の基礎
沖縄県営軽便鉄道では那覇駅に唯一設置された施設で那覇駅
の一番那覇港側に設置されていました♪(o ̄∇ ̄)/

那覇駅の遺構は沖縄戦で建物などは完全に破壊されたそうです
が施設と破壊された車両残っていました。でも、その後に鉄道の
復活はなく残った線路と車両はスクラップになり、跡地には沖縄
本島の交通拠点として那覇バスターミナルが作られたんだよぉ!
♪(o ̄∇ ̄)/  お陰で那覇駅を伝える遺構は完全に消滅したとみ
んなが思っていたんだよぉ(* ̄ー ̄*)
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この沖縄経営軽便鉄道那覇駅を伝える遺構は那覇市の協力で
発見された場所から約10m移設。費用6000万円かけて旭橋の
交通広場に令和元年(2019)6月1日に移築され一般公開され
ました。説明した通り同じ場所では保存ができなかったので遺構
を移築して保存したので場所は注意ですよぉ♪(o ̄∇ ̄)/
P9140144a
ではでは!!
沖縄県営軽便鉄那覇駅の転車台を観察してみるよぉ♪(o ̄∇ ̄)/
遺構を見ると地面から上に施設があるように感じますけどねぇ
これ間違え! なんでこんな保存したかは不明だけど本当はね
地面より下にありました(≧ヘ≦)

上の写真は大変貴重な戦後の写真だよぉ♪(o ̄∇ ̄)/
レンガで円に窪みが作られ下には回転するためのレールが見え
るでしょぉ。この窪みの周りのレンガが今回発掘された遺構!!
今の保存の仕方だと意味不明だよぉil||li _| ̄|○ il||li
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それでも沖縄県営軽便鉄の歴史を伝える遺構なのです(´ω`*)

転車台の詳細(* ̄0 ̄)ノ
基礎部分は円形状にコンクリートで作らています。
それを囲うように約1.1mの高さにレンガが積まれました。
遺構ではレンガ5段ですが当時の写真をみると14段でした。
転車台の直径は約6.8m 遺構は約1/4が破壊されています。

この連車台の上に蒸気機関車が載って毎日クルクル回って
いました。じゃないと後ろ向きで毎日走ることになってし
ます♪(o ̄∇ ̄)/ 

まじまじと転車台を見てみたら朝比奈さんは思ったよぉ!
どんな機関車が乗ってクルクル回っていたんだろうとぉ。
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そんな訳で沖縄県営軽便鉄の歴史に触れた記事は多いけど車両
の詳細に触れた記事が少ないから補足記事として家の書庫を探
し回って詳細を少しばかり書いてみるねぇ♪(o ̄∇ ̄)/

沖縄県営軽便鉄の主力蒸気機関車についてヽ(´▽`)/
沖縄県初めての蒸気機関車のこと

沖縄県で初めて走った蒸気機関車さんは大正3年(1914)に遥か
遠くのヨーロッパΣ( ̄ロ ̄lll)しかもドイツからピカピカの新品!!
小さな蒸気機関車が沖縄にやってきたんだよぉ(* ̄0 ̄)ノ

製造はヘンシェル社(HENSCHEL)カッセルで製造されました。
4両が注文されて沖縄に来たのは3両。B1形タンク機関車でした。
日本ではドイツ製ヘンシェルは多くないので珍しい存在でした。
整備重量は11トン。使用圧力160IB。凄く優秀な蒸気機関車でした。

この沖縄県初の蒸気機関車の写真は
交友社 蒸気機関車の系譜図1巻に写真が記載されているよぉ。
実はわたしの書庫にもあります。写真を見ると凄く可愛らしい
まるでおとぎ列車の機関車のような感じです(´ω`*)

これ以降も沖縄県営軽便鉄道は蒸気機関車を増備しました!!
蒸気機関車には仲間同士番号が振られていました♪(o ̄∇ ̄)/

4号機関車 日本車両製B形 大正9年~昭和11年廃車

6号~8号機関車 オレインスタイン・ウント・コッペル製
ドイツからやってきた新品機関車さん。
コッペル製で762mm軌間では国内唯一のC形機関車で機関
車に張出式の炭庫を持っていました。整備重量は13.7トン
全長は約6m(6131mm)/動輪直径は700mm


11号~14号機関車 エーボンサイド社(AVONSIDE) 
イギリスから鉄道院(国鉄)仙北軽便線にやってきたけど
線軌間変更により余剰になったので大正11年に沖縄にやっ
てきた4両だよぉ!
全長は5.6m(5658mm)/動輪直径610mm
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実はこの仙北軽便鉄道は今のJR東日本石巻線なんだよぉ!
しかも、軽便鉄道から軌間変更する時に使用できなくなっ
た蒸気機関車4両と客車13両・貨車41両のほとんど全ての
車両を沖縄県は鉄道院に安く頂戴とお願い大作戦して獲得
しました♪(o ̄∇ ̄)/  当時の陳情書をみると窮地を救って
と猛烈な!お願い攻勢だったんだよΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll)

そんな訳で沖縄県営鐡道のほとんどは車両は=旧石巻線の
車両! そんな関係が成り立つ間柄なんだよぉ♪(o ̄∇ ̄)/

20号機関車 立山重工業製 昭和17年製
ガソリンが少なくなって動けないガソリンカーの代用とし
て購入したのは良いけれど戦争中で写真も詳細も少なく謎
な機関車さん。解っているのは整備重量が12トンなどごく
少ない情報だけ。
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   【↑沖縄戦後に撮影された那覇駅の構内写真】

蒸気機関車にも負けないガソリンカーの活躍♪(o ̄∇ ̄)/

沖縄県営軽便鉄道では蒸気機関車の運転と並行して1両で自由
に走れるガソリンカーも大活躍していました(* ̄ー ̄*)

キハ1~2号 松井製作所製 昭和4年11月導入
定員40名 全長8.5m 重さ6.6トンのちに客車にされました。

キハ11~12号 日本車両製 昭和8年3月導入
定員60名 全長10m 重さ10トン 両端に荷物台がありました。
上記の写真は終戦直後の那覇駅で撮影された写真だけどスペック
からみて11か12号のいずれかも知れません。

キハ21号 日本車両製 昭和12年2月導入
キハ11と12号より少し大きい感じです!!
定員60名/荷物1t/全長11.3m。でも窓配置は一緒!

キハ31号 日本車両製 昭和13年11月導入
定員60名/荷物0.5t/全長11.3m
ガソリンの消費規制が始まった頃に登場した日本でも戦前最後
に作られたガソリンカーに分類できます♪(o ̄∇ ̄)/

最盛期には6両の気動車(ガソリンカー)が沖縄本島各地へと
バスと競争しながら走りました(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
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さてさて、痕跡を探すのが難しかった沖縄軽便鉄の痕跡!!!
でも、いま再評価されて各所に看板などが立ち始めていますよ。
特に与那原駅の復元、そして今回の那覇駅転車台の保存などと
沖縄の交通史を伝える施設が沖縄本島にあります♪(o ̄∇ ̄)/

ひなたの記事 ↓(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)↓
2015年の記事  沖縄県営軽便鉄道与那原駅へ行ってみる!!

もちろん本土の鉄道博物館に比べたら展示品も少ないけど!!
沖縄県の歴史を鐡道から見てみても面白いと思うよぉ。

そんな沖縄県営軽便鉄道那覇駅より
朝比奈がお伝えしました(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)


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