常夏の国 我した島を走るゆいレール(Ⅰ) 乗車前のゆいレール事始め編です!!
彷徨えるエトランゼ 朝比奈ひなたでございます♪(o ̄∇ ̄)/
わたくし的な用事もあって沖縄まで帰ってきました。そこでです!! 沖縄の鉄道と言えば沖縄都市モノレール「ゆいレール」のことを詳しく調べてみよう♪(o ̄∇ ̄)/ とひなたは思いました。と言うのも~!!沖縄と言う所は鐡道が好きな人にとっては魅力が薄いというイメージが根強くあるようでネットとかでも詳しい情報が意外に少ないのですよぉ。特にマニアックな情報はお手上げヽ( ̄ー ̄ )ノヽ( ̄ー ̄ )ノ そこで少しでも詳しく調べてみようと旭橋駅近くの沖縄県立図書館に行って調べて来たよぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
あとねぇ~! 文章で調べただけでは勿体ないから、実際にゆいレール全駅下車して詳しく見てきたよぉヽ(´▽`)/ そんな訳でB型人間の心血を注いで、いままで撮影した「ゆいレール」の写真も活用し、50万ACCESS記念の特集記事として数回に分けて沖縄都市モノレール「ゆいレール」を詳しく解説していきますよぉ( ̄^ ̄)ゞピッ
皆さんに゚゚( ´ ▽ ` )ノ
少しでも沖縄の歴史や交通史を知ってもらえたらひなたは幸せです!!
昭和20年(1945)6月23日沖縄での組織的な戦闘が終わりました。戦前はあれほど繁栄した沖縄県営軽便鉄道は各所で壊滅的に破壊され残骸の有様でした。すべての沖縄県民は全員、民間人収容所へと入ることになり都市の生活はすべて消えてしまいました。破壊された沖縄本島を占領したアメリカ軍は第一に基地建設と基地を結ぶ道路建設を始めました。特に沖縄本島を縦断する1号線(現、国道58号線)は那覇―名護間は米軍管理道路(軍道路と軍営繕道路:米国民政府が建設・管理)と名護ー奥間は琉球政府道(琉球政府が建設・管理)として整備されました。でも、あくまでも米軍優先。道路は綺麗に舗装されて車線も広く作れていたけど、景観や安全は無視、道路に中央分離帯がある場所も少ない、ただ広い道が作られていきましたΣ( ̄ロ ̄lll)
この米軍が作った広い軍用道路を利用して、県民の輸送に励んだのが路線バスです。全島を網の目のように路線を敷き戦後の復興の原動力になったよぉ。もちろん自家用車の保有台数もうなぎ上り、米軍が作った広い道も、しだいに渋滞するようになり、米国民政府も琉球政府も頭を悩ます大問題になっていたよぉΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll)
【↑ 昭和53年 沖縄県発行のパンフレットより】
昭和47年(1972)5月15日に沖縄は日本に復帰したよぉヽ(´▽`)/ヽ(´▽`)/これから新しい沖縄県を造ろうと言うことで政府は沖縄に新しい公共施設など作りはじめたよぉ。特に力を入れたのが道路だよ。復帰3年後の昭和50年(1975)5月20日には沖縄初の高速道路「沖縄自動車道」を開通させました。それでも那覇市内などは狭い道路も多くてキャパシティーを超える交通量。どこでも車で渋滞ばかり。路線バスも思うように走れない状態だったんだよぉ。そこで昭和48年度から沖縄県・政府・那覇市それと本土の大学と話し合って「沖縄本島中南部のおける都市基本計画報告書」が作られました。この時に新しい大量輸送機関としてもモノレールが選ばれました♪(o ̄∇ ̄)/
でも、なんでモノレールなんてマニアックな乗り物を選んだのよぉ?? 実はモノレールに凄く興味あった人が沖縄にはいたんだよぉ~。その人こそ那覇市議会議員を三期務めた平良一さん。ホテルや映画館など手掛けた実業家さんです。平良さんは独自で渋滞する那覇市の交通を改善すべきと資料を集めていました。ちょうど、その時に開通したのが東京モノレールさんです。もの凄くインパクトがあったのか調査研究を進めて資料を集めていました。でも、物凄くお金がかかるので時の琉球政府も那覇市も米国民政府もお手上げ。そこで平良さんは後輩の議員を介して那覇市長の平良良松さんに後を託しました。革新首長の平良さんは同じ革新知事(琉球政府行政主席)の屋良朝苗さんと一緒になって復帰後の沖縄振興計画ではモノレールを支持して採用がきまりました(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
こんな風に「沖縄にモノレールを作るぞぉ!!」と沖縄県が凄く頑張った理由の1つに沖縄復帰と同じ年に成立した法律「都市モノレール等の整備促進に関する法律」があります。この法律によると、モノレールの線路(軌道桁&支柱)は道路の一部と考えて道路整備特別会計よりインフラ部分の2/3を補助するという大盤振る舞いの法律だったんだよぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
そこで沖縄県としては安く作れるモノレールは魅力的。ただ補助を受けるためには線路が①都市計画決定がなされていること。②経営者は地方自治体または準ずる団体であること。など法律で決められていました。そこで沖縄県と那覇市は沖縄振興計画でモノレールを盛り込み、法律が受けられる為の準備をしていきました。そして昭和55年(1980)に国の補助事業になり。昭和57年に沖縄都市モノレール株式会社が発足。そして平成8年(1996)に運輸省運輸審議会より特許、建設省から都市計画の承認を受けて同年11月15日に起工式をおこないました♪(o ̄∇ ̄)/
そして、計画してから約30年( ´ ▽ ` )ノ 平成15年(2003)道の日にちなんで8月10日に那覇空港駅~首里駅まで全長約12.9kmが開業したよぉ。
\( ´꒳`)/♥︎ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
【ゆいレール年間輸送人員の推移:ひなた作成】
さてさて、ゆいレール開業前の利用者数の予想では1日あたり31,350人と偉い人たちは考えました。でも、この人数は沖縄では無理と言っていた人が多かったんだよぉ。なぜなら沖縄は車社会。個人の自家用車台数が多いから、わざわざ駅まで歩いてモノレールに乗る人なんて少ないと思っていたんだよぉ!!
では結果発表\( ´꒳`)/♥︎ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
開業の翌年の2004年は予想した利用人数より・・・やっぱり少なかったよぉ・・・。Σ( ̄ロ ̄lll) う~ん沖縄では鐡道は無理なの?? 2005年には少しだけ増えたけど、2012までは暗黒時代に突入してしまったよぉ。利用するお客さんがあんまり増えない、しかも2009年は新型インフルエンザの流行&2011年の東日本大震災の影響で観光業が大打撃。お陰で長期低迷です。ゆいレールのとっては暗い長いトンネルでございました(≧ヘ≦)
それが変わったのが平成24年(2012)からだよぉー。特に海外から沖縄へ観光に来た人の利用が目立ち始めました。あと沿線の住宅地から那覇都心へと通勤する方々が増えて来たよぉ。この平成25年(2013)には1日あたりの乗車数が4万人を初めて超えました。おかげで年間乗車人数は1,490万人。これ以降は順調に乗車人数は増え続け平成30年(2018)には1,905万人にも増えたよぉ。
【ゆいレールダイヤ改正に伴い運行本数の推移表:ひなた作成】
ゆいレールは増え続けるお客さんに応戦しなくてはなりません。開業当時のダイヤは凄く珍しい平日も休日も同じ1つのダイヤを使用していました。1日あたり202本の列車で運行していたよぉ。でも、平日と休日とでは乗るお客さんの数は絶対に違うわけでΣ( ̄ロ ̄lll) 平成17年(2005)12月23日からは平日&休日のシンプルな2つのダイヤになりました。しかしです。平成24年(2012)から著しく増え続けるお客さんには対応できないので平成29年のダイヤ改正では全国的にも珍しい平日・金曜・土曜・日曜の4つのダイヤが生まれましたよぉ。もう限界への挑戦です。そして令和元年(2019)には浦添市方面の延伸に伴ってダイヤ改正。さすがに4つもダイヤがあると意味不明になりやすいので平日と休日のシンプルな2つのダイヤになりました!!
平日ダイヤを見てみると開業当初は1日/202本だったのが令和元年(2019)には1日/276本と74本も増えています。待たずに乗れる、ゆいレールの登場だよぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
【↑開業から平成26年(2014)10月29日まで使われた ゆいカード】
順調に増えるお客さん&運行ダイヤと一緒に駅設備も便利に変わってきています♪(o ̄∇ ̄)/ 特に開業した時は普通乗車券&回数券と一緒に自動改札機にそのまま投入する磁気式の「ゆいカード」を発売しました。また観光するお客さん達の為に1日乗車券も2日券・3日券と3種類発売したよぉ(* ̄ー ̄*) 特に1日乗車券は沿線の施設の割引を受けられる豪華特典付きだよぉ(´ω`*)
でもでも、時代は、ゆいレール暗黒時代です。全然利用する人が増えないよぉ~。そこで、ゆいレールのおじさん達は考えたよぉ。平成23年(2011)からは隣の駅へ安く乗れる「おとなりきっぷ」を発売したよぉ。回数券も有効期限を無期限に変えました。そして最大の変更が1日乗車券(2日券.3日券)を時間制にかえました( ̄^ ̄)ゞピッ いままでの1日乗車券は午後に買っても当日のみ有効( ̄▽ ̄) これだと夕方から沖縄に観光に来た人が使いづらいよねぇ。そこで初めに自動改札機に投入した時間から24時間有効にルールを変えました。これなら夕方の17時に買えば、翌日の16時59分まで有効になる訳だから凄く便利だよねぇ。この時間制は海外ではメジャーなルールなので海外からの利用する人にはわかりやす利点もあったんだよぉヽ( ̄ー ̄ )ノヽ( ̄ー ̄ )ノ
平成26年(2014)10月20日から、ゆいレール&沖縄本島のバスが利用できる初のICカード「OKICA」がスタートしました。これに伴い回数券とゆいカードは廃止になりました。1日乗車券(2日券)も券売機で購入した時間から24時間利用可能とルールが変わりました( ´ ▽ ` )ノ
OKICAの記事はコチラから ハ━٩(*´∀`*)۶━イ
ただ本土との交通系ICカードとの互換性が無いのが不便との声があって2020年には互換性を持たせるべく改修するそうだよぉ♪(o ̄∇ ̄)/ このOKICA登場と同時に自動改札機が変わったよぉ。この自動改札機は日本では凄く珍しいQRコードを読ませるタイプの自動改札機なのです。乗車券に描かれているQRコードを自動改札機にタッチして乗り降りします。だから自動改札機には投入口が無いのΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll) だから降りるときには改札機に置かれている籠にタッチし終えた乗車券を入れまーす(≧∇≦) なんだか独特でおもしろいでしょぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
さてさて、ここまではゆいレールの歴史、状況、ダイヤ、営業の話してきたよぉ( ̄^ ̄)ゞピッ ここからは、ゆいレールは走るモノレール電車さんをご紹介しますよぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
そんな訳で沖縄都市モノレール(ゆいレール)で活躍する1000形電車さんです♪(o ̄∇ ̄)/
平成13年(2001)に試運転の為に1編成が作られました。翌年には全線で試運転するために日立製作所と川崎重工で合わせて11編成が作られ合計で12編成が平成15年(2003)8月10日の開業に備えました。そうそう運転士さん達は電車を走らせる免許がいるんだけど沖縄では施設も経験も無いので取得するために本土の京浜急行さんで勉強と運転の訓練をして免許を取得したんだよぉ。Σ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll)
沖縄戦後初の実用的な電車として生まれた沖縄都市モノレール1000形電車さんは可愛い2両編成の小さなモノレールです。2両固定で首里向けの車両は2号車で1200番台の名前、那覇空港向けの車両は1号車で1100番台の名前が付けられています。なのでトップの車両は1201号車+1101号車と言った具合です。長さは2両合わせて28m。最高時速は65km/h。ゆいレールは全て1000形モノレール電車さんで運行しているよぉ(´ω`*)
構造は沖縄で最も厄介な塩害に対応するために全アルミニウム合金製の溶接構造です。とにかく錆びやすい沖縄だから厳重につくられています。カラーリングは首里城の朱塗りの赤をアクセントとして黒からグレーへと色を配色しているよぉ゚゚( ´ ▽ ` )ノ
運転台は右手マスターコントローラーで操作します。ハンドルを引くと力行(進みます)4段あります。逆に奥に倒すと止まります(ブレーキ)7段&非常があります。ゆいレールはATCによって制御され全線にわたり制限速度が定められています。その速度は25km/30km/35km/45km/55km/65kmの6段階です。その制限速度に1kmでもオーバーすると自動的にブレーキが作動するんだよぉ♪(o ̄∇ ̄)/ 暇なときに運転士さんの運転を見てみると操作が良くわかるよぉ(* ̄0 ̄)ノ そうそう、ドアの開け閉めは運転士さんが行うワンマン運転です。だから車掌さんは乗務していません。
可愛いモノレールさんですが開業と同時に全12編成で頑張って走っていたけど、12編成だけでは増えるお客さんに対応することが難しくなってきたよぉ。そこで2010年に1編成を増やして計13編成にしたよぉ。それでも増えるお客さん&浦添市への路線延伸が決まったので更なる大増備を決めたよぉ♪(o ̄∇ ̄)/
平成28年(2016)度に日立製作所から第1編成を増備しました。1編成のお値段は約6億円だよぉ゚(´゚ω゚`) さらに平成29年(2017)には同じく日立製作所から合計で5編成が増やされ全部で19編成になりました。実はこの第14編成(1214+1114号車)以降からは混雑する車内を改善するために多くの変更をしています。それに外観も少し変わったんだよぉ~あんまり注目されていなんだけどねぇ(≧ヘ≦)(≧ヘ≦)(≧ヘ≦)
【↑第1編成~第13編成までの1000形電車さんです♪(o ̄∇ ̄)/】
まずは外観から見てみるよ~見慣れたゆいレールさんだよねぇ゚٩(●˙▿˙●)۶♡
【↑第14編成~第19編成までの1000形電車さんです♪(o ̄∇ ̄)/】
上の写真と見比べてみて窓が小さくなったのが分かります?? なんだかバランスが悪くなったような気がするのは朝比奈だけ??それとお顔の貫通扉に手すりが付きました。それ以外の見た目の違いはありません。見えないところでは、いままで1つしか無かった電源装置が2つ配置することにしました。これで片方が壊れても走れるようになったよぉ。
【↑上:1編成~13編成 下:14編成~19編成の車内】
まず車内を見ると直ぐに違いが分かります。シートの形が大きく変わりました。いままでは座面が広くて背もたれが小さかったのですが、14編成以降は座面が小さくなり背もたれが高くなりました。これにより通路の幅が18cm少し増えて立って乗るお客さんにもゆとりができました。あと、今までに無かったシート前の手すりが取り付けられました。また、つり革も増えました、だんだんと本土の通勤電車に似て来たよぉ゚゚( ´ ▽ ` )ノ
【上:1編成~13編成 下:14編成~19編成のロングシート】
ロングシートの絵柄は共に琉球絣の文様から「とうぃぐわー(小鳥)&ばんじょうー(カギ形)」を組み合わせた柄になっているよぉ。沖縄らしさ醸し出ているねえ( ̄ー ̄)ニヤリ
【上:1編成~13編成 下:14編成~19編成の優先席】
優先席の模様は守礼門・シーサー・熱帯魚なんだか沖縄らしくて良い感じです。そうそう座席の座りごごちですが増備された方がフカフカで座り心地が良いです。1編成~13編成は座面が薄くて硬くて長い距離乗るとお尻痛いですΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll) ただ増備車は座席全体の高さが増えたので窓が逆に小さくなったのが残念な感じがするよぉ(≧ヘ≦)
【↑上:1編成~13編成 下:14編成~19編成のドア―付近】
混雑する車内を緩和する為に14編成~19編成のドア―付近は広くとられています。これによってロングシートが小さくなって12人掛けから10人掛けへと少なくなりました。そうそうロングシートの両端には仕切りが付けられました。こんな風に増備されたモノレールさんは多くのお客さんを運べるように改善されているいぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
共通の設備としてドアー上部に車内案内表示装置が取り付けられています。モニターは液晶ディスプレイで見やすいよぉ。表記も4か国語表記で海外からのお客さんが多いゆいレールらしい配慮だねぇヽ( ̄ー ̄ )ノ 車内案内は音声合成をしようしています。そうそう、駅接近時には琉球民謡などから選ばれた曲が各駅に流れます。物凄く有名な「芭蕉布」「安里屋ユンタ」「てぃんさぐぬ花」などなど、ひなたは、駅ごとに流れる曲を聴くと、ああっ沖縄に帰って来たーって気分になります\( ´꒳`)/♥︎ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
特にお気に入りは「壷川駅の唐船ドーイ」だよぉ(≧∇≦)
さて、案内してきた沖縄都市モノレール(ゆいレール)1000形電車さんですが、開業してから凄いバリエーション豊かなラッピングモノレールが走っています。ひなたが、これまで撮影しただけでも10種類以上もあったよぉ。沖縄でイベントがあれば必ずタイアップ♪(o ̄∇ ̄)/ ゆいレールに乗ったらラッピングモノレールにも注目してみよぉヽ( ̄ー ̄ )ノヽ( ̄ー ̄ )ノどれも沖縄らしいカラーリングで面白いよぉ!!
そんな訳で沖縄県立図書館で調べた沖縄都市モノレール(ゆいレール)のまとめ記事を書きました。さて次回からは図書館だけでは物足りないので各駅を巡る旅に出たいと思います。ひなたは延伸部分は未体験なので楽しみ(≧∇≦) そんな訳で、まだまだ特集記事が続きますが飽きないでお付き合いくださいませ( ̄^ ̄)ゞピッ
それでは旭橋駅横の沖縄県立図書館からお伝えしました。
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鐡道趣味50万ACCESS記念 ノゆいレールのお話し
お次のお話しは下をクリックしてみて下さいねぇ( ੭ ・ᴗ・ )੭
★第二話 ゆいレール各駅停車の旅 那覇空港駅~小禄駅編
★第三話 ゆいレール各駅停車の旅 奥武山公園駅~旭橋駅編
★第四話 ゆいレール各駅停車の旅 県庁前駅~牧志駅編
★第五話 ゆいレール各駅停車の旅 安里駅~古島駅編
★第六話 ゆいレール各駅停車の旅 市立病院前駅~首里駅編
★第七話 ゆいレール各駅停車の旅 石嶺駅~てだこ浦西駅編
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