さようなら夜間高速バスの拠点 京浜急行「品川バスターミナル」です!!
彷徨えるエトランゼ 朝比奈ひなたでございますヽ(´▽`)/
9月に入ってから猛烈に仕事が忙しくて青息吐息でございます。しかもコロナ過と言うことで外出も必要最小限なのです。そんな時に京浜急行さんの歴史ある施設が令和2年(2020)9月30日にひっそりと消えていきました。その名も京浜急行の「品川バスターミナル」Σ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll) あまり高速バスに乗らない人には存在すら怪しい京浜急行の品川バスターミナルへと行ってみるよぉ♪(o ̄∇ ̄)/
それでは京浜急行品川駅の高輪改札口を出て泉岳寺方向へ第一京浜国道に沿って歩いていくよぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*) この高輪口界隈は数年後に始まる本格的な大開発を前に店舗の閉鎖や移転が進んでいます。京浜急行品川駅の下にあった旧京浜百貨店(Wing高輪イースト)さんも移転済みなのですΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll) あと数年で思い出深い場所が面影なくなるほど変わるのが少し悲しいかなぁ:;(∩´﹏`∩);:
そんな高輪口から歩いて約5分位で「THE80年代的な感じのプレハブ建て」の怪しい「品川バスターミナル」が見えてくるよぉヽ(´▽`)/ ただ訪れたのが品川バスターミナルが既に閉鎖された後なので施設にはベニヤ板で封鎖されてい悲しい雰囲気だよぉー。
この京浜急行さんの品川バスターミナルは京浜急行の夜間高速バス(長距離バス)の起点として平成元年(1989)1月15日から使用が開始されました。ターミナルは2階建て、1階に乗車券窓口・2階が待合所になっていました。しかも、高速バスの出発前の準備施設としてシャワー室などもあって高速バスを利用する人を考えた便利な施設だったんだよぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
バスターミナルの裏側には乗降口があります♪(o ̄∇ ̄)/ 乗車券窓口の横ドアから外に出ると乗車専用ホームがあるんだよぉ♪(o ̄∇ ̄)/ただ乗場には番線はありません。本数が少ない夜間高速バスなので館内放送で出発を知らせてから乗場へのドアが開いて乗車ホームへ進んでもらってから乗車していました。平日は本数が少ないけど大混雑する年末などには同じ行先でも!なんと1号車~6号車なんて感じで高速バスがギュウギュウに狭い乗車ホームに並んでいたんだよぉ!!
そんな賑やかだった品川バスターミナルさん♪(o ̄∇ ̄)/
京浜急行としても凄く力を入れていた夜間高速バスでした。と言うのも夜間高速バスの基礎を作ったのは京浜急行とも言えるんだよぉΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll) 実は夜間走る高速バスは国鉄バスさんがドリーム号として東京-大阪を結んでいました。大都市と大都市を結ぶんだから儲かるよねぇ。そんな時に京浜急行さんは帰省バスというお盆と年末に田舎に帰る人が利用する貸し切りバス「帰省バス」を運転していました。帰省する青森方面の弘前の人たちには大好評!! 東京から乗り換えなしで直接故郷に帰れるんだから良いよねぇヽ( ̄ー ̄ )ノ
そこで京浜急行さんの自動車本部のオジサン達は考えたよぉ!「東京から大都市へバスを走らせるよりも乗換などがあって直接、東京とアクセスできない地方都市を結んだ方が儲かるかもぉ」そこで青森県弘前市にある弘南バスさんと一緒になって新しい夜間高速バスを開発することになったんだよぉ(*´▽`*)(*´ω`*)(*´▽`*)
そして、昭和61年(1986)12月26日。京浜急行の自動車本部のおじさん達の夢の結晶「ノクターン号」が登場したよぉ。走行キロは品川駅から弘前バスターミナルまで約685kmで当時の日本最長の走行キロでした。長さだけではありません。長距離走行の為に独自の新しいバスを開発しました。それは観光バスのようなハイデッカー車体のバスで座席が3列のシートがある特別仕様。しかも座席もグリーン車並みの高級座席で飛行機でも再送されているマルチステレオを搭載。車内装備には車内トイレ・車内公衆電話があり。アメニティーにスリッパ・毛布など至れり尽くせりヽ( ̄ー ̄ )ノ いま各地で夜間走る高速バスの基礎が出来上がったんだよぉ♪(o ̄∇ ̄)/
バス業界を騒然とさせたノクターン号さんヽ( ̄ー ̄ )ノ 斜陽のバス業界では群を抜いての営業成績だったんで京浜急行さんも大喜びですよぉー。そんな訳でノクターン号開業当時は品川駅高輪口前のホテルパシフィックから出発させていたバスに専用のターミナルを建設しようと大盤振る舞いで建設されたのが品川バスターミナルだったのです( ´ ▽ ` )ノ
平成10年 京浜急行高速バスの路線網を見てみよぉ♪(o ̄∇ ̄)/
品川バスターミナル―弘前・五所川原【ノクターン号】
品川バスターミナルー鳥取・米子【キャメル号】
品川バスターミナルー宮古【ビーム1】
品川バスターミナルー今治【パイレーツ号】
品川バスターミナルー徳島【エディ号】
品川バスターミナルー名張【いが号】
品川バスターミナルー倉敷【ルブラン号】
品川バスターミナルー東舞鶴【シルフィード号】
品川バスターミナルー浜大津【マリーン号】
品川バスターミナルー萩【萩エクスプレス号】
京浜急行さんは日本各地へと夜間高速バスの運行を開始していきます。特に変わり種なのは徳島線でした。まだ明石海峡大橋が出来ていなかったのでフェリーを利用して徳島へ連絡をしていたんだよぉΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll) そんな訳でドンドンと路線が増えるかと思っていたんだけどぉ・・・強敵の格安観光バスによるツアーバスの登場でお客さんは大減少・・・しかも運転士さん不足が始まり・・・空港のリムジンバスの方が儲かるようになると夜間高速バスは日陰者に:;(∩´﹏`∩);: 増えた路線はドンドンと消えていきました・・・。
いまでは京浜急行バスさんが運行する夜間高速バスは弘前線(ノクターン号)・宮古線(ビーム1号)・徳島線(エディ号)・鳥取米子(キャメル号)の4本になってしまったよぉ。ここまで減ると品川バスターミナルの建物は不要って感じです。そこで品川や高輪ゲートシティの開発も手伝って建物は廃止になってしまったよぉ:;(∩´﹏`∩);: でも品川駅は利便性が良いので新たに品川プリンスホテルの先に新しい新品川バスターミナルと言う名前の普通のバス停に移転することになりましたΣ( ̄ロ ̄lll)Σ( ̄ロ ̄lll)
屋根も無ければバス停だけがポンとある普通な感じのバス停だよぉ♪(o ̄∇ ̄)/ はぁ~あれほど賑やかった夜間高速バスも遠い昔になりそうです。そんな賑やかだった品川バスターミナル跡から朝比奈がお伝えしましたヽ( ̄ー ̄ )ノ
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浜大津への夜行バスを利用した事があります。
横浜駅でも乗車が出来ました。東口のそごうデパートの所にバス停がありました。
まだ路線開設から間もない頃で、近江鉄道との共同運行、私の利用時も近江鉄道担当でした。
確か23時過ぎの発車で、「米原からおたくの1番電車に乗りたいけど間に合いますか」と確認すると「間に合わす様に走りますよ」と快い返事でした。全員の乗車も済み愈々発車となりました。ところが運転士もまだ不馴れだったのでしょう、誤って何と地下のタクシー乗り場に入ろうとしたのです。
しかし、その入口はバスの車高に少しだけ足らなかったのです。
ガガガガーと音を立てて挟まりました。
屋根から飛び出している換気扇が天井から埃を立てながら落下しました。
取り敢えずバックでバスを引き出し駐車しました。雨が降っていたので、換気扇の抜けた穴から傘を差し入れ、開いて雨の侵入を防ぎました。
軈て、「羽田の車庫からの代わりのバスを待っています。1時頃の発車となりますが、暫くご辛抱をお願い致します。」との案内が運転士からありました。
案の定、来たのは京浜急行の車輌でした。
共同運行とは斯様な出先での事故に備えるとの意味もあるのだなぁと感じました。
既に2時間近く発車が遅れたので、「米原の件は忘れて下さい。」と運転士に伝えると、「ギリギリ間に合うと思うのでやって見ますよ。」との返事でした。
果たしてギリギリで間に合いました。「後々何か不都合があるといけないから連絡先を残して下さい。」(まだ携帯電話の普及前でした)と云うので、出張先の電話番号を教えて降りました。
米原から八日市経由近江八幡まで乗り、出張先へ。
暫くして、10時頃だったか近江鉄道から改めて詫びの挨拶とその後不都合はないかとの電話が入りました。
とりとめも無い話ながら、珍しい経験故にお耳に入れる次第です。
尚、運転士は小柄な優しい方で、迷惑よりも気の毒に思うものでした。
投稿: あづまもぐら | 2020年10月24日 (土曜日) 15時25分
あづまもぐらさん^_^
いつも書き込みありがとうございます。また、いつも返信が遅くてごめんなさい!
まだ、夜間高速バスがパシフィク東京から出発時代にご乗車されたんですね(*´∀`*) そしてすごい体験!!さすが電車だけでなくバスも韋駄天な走りには拍手喝采です。貴重なお話ありがとうございました\(//∇//)\
投稿: 朝比奈ひなた | 2020年10月31日 (土曜日) 19時29分