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2014年10月 8日 (水曜日)

空の日 IN HND2014

えっ~と。新幹線50周年の記事を書くために異常な労力を使ってしまい
タイミングをかなり外してしまった_ノフ○ ダメよ~ダメダメ_| ̄|○。

9月27日(土曜日)は羽田空港で「空の日」のイベントが盛大にありました。
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会場は羽田空港第一ビルor第二ビルと旧整備地区です。
今回は羽田空港旧整備地区へ来てみました。

ここは主に大田区が主催しているイベントの会場になります。
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東京大田区ある企業とANA・JAL・東京モノレールなど
出店が開かれていますが京急電鉄はココにはいません。
羽田空港第一ビルでこっそり開店。

こちらは地元の人や大田区に住む海外の方の催しなど
ボランティアで華やかにやっています。
大田区は海外から来た人が多く住む町です。

出店もブラジル・ペルー・台湾・タイ・フィリピン
カナダ(大使館が来てました)
など幅が広く、各国の料理を販売していました。

たくさん食べたけど、どれも安くて美味しかった

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10時からスタートして16時まで意外に会場が
広くて食べるのに十分な椅子もあり満足・満足です(* ̄ー ̄*)

さて、旧整備地区での目玉商品はYS-11の展示です。
こう見ると大きいなぁ
天気が曇りで残念 
と思いきや晴れて青空が見えてきたんですよぉ( ̄ー+ ̄)
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10分したらこの快晴。マリア様ありがとうございます。
日ごろの行いの悪い私に良いプレゼントです
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さて、なんだか見慣れない不思議な色のYS-11さんです。
なに? これわぁ?

国土交通省(運輸省)が使用した空港設備が正常化を確認する為に
特別に使用した飛行機です。現役時代は同じ滑走路を何十往復も飛
んで電波機器など正確に作動しているか飛行機から確認していました。

乗ったことのある方からの話では「拷問のように」飛んだり降りたり。
水平に飛行したり・・・。さすがに嫌になるとの事でした。

さて、このYS-11では量産型の1号機になります
なので
量産型では1番のお兄さん。したがって弟が181機いますよぉ
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JA8610 YS-11は展示している飛行機なんですが現在は国立科学博物館
所属の現役飛行機でエンジンも動きます。
飛ぼうと思えば日本の空を再び飛べる整備をしてます( ̄ー ̄)ニヤリ

あと、100年は現役で保存したいと担当の方は仰っていましたよぉ。
頑張れ
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YS-11の記念室ではカタログが展示してありました。
「YS-33」ってΣ( ̄ロ ̄lll)
担当の人がなぜか居なくて、誰にも話を聞けなかった。

ご存知の方は「YS-33」にご一報くださいm(. ̄  ̄.)mス・スイマセーン
わたしも解説できないよぉ~。
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なんだか。また雲の塊が向こうからやってくる。天候が変わりやすのは
女心と秋の空かなぁ。でも写真を撮っていると困るのよぉ~。

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海上保安庁の飛行機も友情出演です。
こちらは現役ですけどねぇ
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また、完全に曇ってきた・・・。神様に見放された・・・・。
まぁ日ごろの行い悪いから仕方がないかもil||li _| ̄|○ il||li
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さて、東京」モノレール天空橋駅から帰りましょう( ̄▽ ̄)

p.s.
実はこの日は東京晴海ふ頭でバスのイベントもあったんですぅ。
2か所も行きたくないしバスはいつも道を走ってるからいつでも見れる!!
なのでぇ~「空の日」に来てしまいました( ̄▽ ̄)

しかし、バスの記事が少ないので10月中には、バスの記事を書こうと思う
朝比奈さんでした( ̄ー+ ̄)

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三菱飛行機がMRJの地上訓練を10月18日位から開始するとのコト
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まだ、ロールアウト(地上の訓練)なので飛べない小鳥なのです。
でも、もう少しでYS-11の跡取り息子さんの誕生です。おめでたう

YS-11登場から、ちょうど50周年の年に早く日本の空は
日本の飛行機に飛んでもらいたいなぁ

これからも飛行機の話題は盛り上がりそうです(v^ー゜)ヤッタネ!!

2014年9月25日 (木曜日)

YS-11正式飛行50周年  聖火を沖縄から日本へ 昭和39年9月9日

今年は日本の交通にとっては節目の年です。
第十八回オリンピック東京大会が開催されてから50年なのです。
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この昭和39年(1964)こそ、新しい交通機関の幕開けの年です。
鐡道趣味では4回に分けて新しくできた交通を取り上げたいと思います。

第2話は聖火輸送を務めた日本の翼 YS-11旅客機です(* ̄ー ̄*)
写真にあるのは↓試作1号機です

この飛行機も昭和39(1964)8月25日に運輸省から型式証明を認可
されています。型式証明・・・普通にお客さん乗せてもOKとう資格かなぁ。
どうにか東京オリンピックに間に合いました(^-^;でもぉ・・・。

本当は昭和37年(1962)8月30日初飛行をしたのです。でもねぇ・・・・。
出来が悪すぎてどうにもならない゚゚(´O`)°゚

とにかく飛んでから左右に曲がるとフラフラする。まっすぐ飛べない(涙)
振動も騒音も酷い。これじゃ・・・墜落する・・・。と言う事で大改造します。
試作1号機と2号機を2年も大改造しまくって普通になりましたヽ(´▽`)/

試作機が出来てないので増産もできない状態・・・・・昭和39年当時には
大改造しまくった試作機2機しかYS-11はないよぉ~・・・・il||li _| ̄|○ il||li
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そんな時に東京オリンピックの聖火リレーは型式証明取得した4日前に
アテネを出発してしまいました。ああっ_ノフ○ グッタリ

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

昭和39年(1964)オリンピック東京大会の聖火は、同年8月21日にギリシャ
オリンピアで採火されアジア地域12カ国を経て9月7日正午、聖火を乗せた
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「シティ・オブ・トウキョウ」号・日本航空コンベア880M型旅客機)が
那覇空港に到着しました香港で台風の為1日遅れて・・台湾へ。
そして那覇に到着です

聖火リレーの予定が大幅に遅れてしまいました。
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まだ、沖縄はアメリカの統治下で海外です。その場所が聖火のスタート
になります。沖縄で聖火リレーは約3日の予定で沖縄本島を1周します。
そうそう琉球郵政庁の記念切手もアメリカドル表記でしょ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

琉球高等弁務官の米国陸軍ワトソン中将は全琉球において日の丸の
自由掲揚を祝賀行事として黙認しました。那覇市の奥武山陸上競技場
では初めて国旗掲揚時に「日の丸」そして「星条旗」の順で掲揚( ̄▽ ̄)
戦後19年で初めてのことでした

でも、台風の遅れていたので急遽聖火は予定通り9日に出発Σ(゚д゚;)
聖火は沖縄で分けて全琉をまわって後で聖火を合流する計画に変更
でも、良かったねぇ(* ̄ー ̄*)

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おめかしをしたYS-11(試作2号機)は日本から前日に那覇空港に到着

結局は飛行機は試作機2号機を、日本航空機製造㈱からレンタルして
全日空が運航することに、大急ぎで内装と外装を治しますしが、塗装が
中途半端

機体のセンター部分のカラーが日本航空機製造の色なのに(* ̄ー ̄*)
尾翼は全日空

まぁ、超急いで全日空的な塗装に変更したので仕方ないですねぇ~
機体横には「聖火輸送特別機」と五輪マークを大書し威風堂々です

9月9日午前6時58分に那覇空港を離陸します。
そして日本本土へ向かいます(* ̄ー ̄*)

アメリカ施政下の琉球列島を離れて、奄美大島からは日本に入ります。
ここから護衛に航空自衛隊の戦闘機4機がYS-11を守ります。

国産の翼YS-11が、一番輝いていた時かもしれませんねぇ~( ̄ー ̄)ニヤリ

聖火特別輸送機は鹿児島空・宮崎空港そして、途中に給油に名古屋空港
に寄り、そして千歳空港と1機で日本を横断しました
Ys11kyuutosou_2

聖火輸送を記念して
全日空のYS-11は愛称をオリンピアと呼ばれました。
機首にも オリンピアと書かれて自慢たっぷりです。

この聖火リレー後の昭和40年からYS-11の本格的な量産スタート
182機が日本と世界のあらゆる空へ羽ばたいていきます(≧∇≦) 

聖火を輸送した試作2号機さんは
事故にも合わず、昭和55年(1980)に解体されるまで大活躍しました。
でも、保存されずに残念。試作1号機は成田の航空博物館に屋外展示
されています。

鐡道趣味でのYS-11の記事になります↓
http://harumi-sta.cocolog-nifty.com/khk/2014/06/ys-11-16e3.html

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

さて、おまけですが
1964年東京大会の聖火リレー表です。
かなり不思議なコース走ってますねぇ。
Kokunaimap2_l

第1コース 9月9日(水)~10月9日(金)
鹿児島 → 熊本 → 長崎 → 佐賀 → 福岡 → 山口 → 広島 → 島根 → 鳥取 → 兵庫 → 京都 → 福井 → 石川 → 富山 → 新潟 → 長野 → 山梨 → 神奈川 → 東京

第2コース 9月9日(水)~10月8日(木)
宮崎 → 大分 → 愛媛 → 高知 → 徳島 → 香川 → 岡山 → 兵庫 → 大阪 → 和歌山 → 奈良 → 京都 → 滋賀 → 三重 → 岐阜 → 愛知 → 静岡 → 神奈川 → 東京

第3コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 秋田 → 山形 → 新潟 → 群馬 → 埼玉 → 東京

第4コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 岩手 → 宮城 → 福島 → 栃木 → 茨城 → 千葉 → 東京

昭和39年という年にようやく日本の空に飛べたSY-11のお話しでした。

2014年7月26日 (土曜日)

YS-11 ANK JA8731さん エアニッポン!!

久しぶりにYS-11に逢いに来ました。やっぱり全日空色は
空に映えて綺麗でっすね。とっても好きです(* ̄ー ̄*)

今回は各務ヶ原航空宇宙博物館に展示されている機体で
です。もぉここまで来るのは・・・これで最後かななぁ・・・・。
遠いです・・・東京から・・・しかも駅からもil||li _| ̄|○ il||li

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さてと、展示されている機体は昭和39年4月生まれの
全日空時代はオリンピアと言う愛称がついていました。
なぜ、「オリンピア」それは東京オリンピックの聖火を
国内をYS-11が輸送したところからきています

Img_1037a

全日空から平成3年に子会社のエアーニッポンさんへ
移籍して活躍しました(* ̄ー ̄*)

機体は量産99号機目の機体で、平成7年11月末に
高松空港~大阪伊丹空港間の最終フライトしたあと
12月4日大阪空港から岐阜飛行場まで自力で飛んで
ここまで来ました。凄いでしょ( ̄ー+ ̄)
Img_1027a

本当はYS-11A-200なんだけど。途中からのエンジン
交換してYS-11A-500Rに変身した機体です( ̄▽ ̄)

エンジンを変えたことで高気温・高地運用時とかに耐え
なんと片発上昇性能(片方だけのプロペラだけで飛ぶ)
能力がが向上した

Img_1011a

こうやって見ると大きいような気がしますけど
意外と小さいのですよぉ(* ̄ー ̄*)

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さて、機内の操縦席に、懐かしい( ̄ー ̄)ニヤリ
ひなたはANAにいた時に座ったことあるんですよねぇ
でも、結構狭いんでこれが・・・

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さて客室内も綺麗に管理されていますね
座席とかは大切に管理してもらいたいなぁ。

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ロールスロイス社のエンジン( ̄▽ ̄)
そして全日空色のプロペラが素敵ですねぇ。

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そうそう、よくプロペラ機だぁ。と言う人いますけど。
違うんですよぉ。ターボプロップエンジン搭載の。
ジェット機の一種なんです。

ガスタービンの推力でプロペラを回すのですねぇ。
なのでプロペラ機よりも羽が大きく、枚数も多い
のですねぇ(*゚▽゚)ノ

でもカッコいい。このプロペラとエンジンは(* ̄ー ̄*)
Img_1022a

横から見ると戦前の輸送機みたいです。
それも、そうですねぇ。なんといっても日本製
作成した人たちのリーダー達は戦中に戦闘機
作っていたのですから、少し似てしまいますね。

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あははは。こんな角度から写真機で撮りました。
ちょっと目線を上げるとこんな感じに見えるんです。
懐かしいなぁ。ここで出会えるのは(* ̄ー ̄*)

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天気も快晴でとっても感謝しました( ̄▽ ̄)
なんといっても、今度逢えるのいつになること
でしょうか?

それまで、大切にしてもらってくださいねぇ
でも、また来る?・・・私も疑問なくらい遠いよぃ

2014年6月23日 (月曜日)

日本の空を飛ぶための翼 日本航空機製造YS-11試作1号機

YS-11 新しい日本の翼
最高の性能・最高の経済性・ジェットプロップの花形 
それはYS-11旅客機です。


1966年に制作された記録映画
「YS-11新しい日本の翼」の最後に、このセリフが謳われています。
この映画の主役は飛行試作1号機です。

成田空港のほど近く屋外にYS-11飛行試作1号機が展示されています
試作機のカラーリングとても素敵ですねぇ。日本の空に良く似合います。

日本の空を飛ぶために生まれたのですから当然です

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そして、尾翼にはNAMC「日本航空機製造株式会社」ロゴが大きく
また、試作1号機の為に大きく「1」と書かれてます。カッコいいなぁ。

国産飛行機で初めて戦後飛んだ民間機ですからね貫禄十分
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ロールスロイス社製ターボプロップエンジン。ダート10エンジン
さすがにエンジンまで日本製で作ることは出来ませんでした。

でも形が素晴らしく美しいですね。美しい機械は性能も抜群です。
なんといっても世界のロールスロイス社製
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機体の胴体には「YS-11 PROP-JET」と大きく書かれていますぇ
もう、これでもかと言わんばかりに堂々とした書体で書かれて
日本の初の国産飛行機ですからねぇ。塗装も格好良くないとね

試作1号機の機内には計測機器と水槽など試験機器を満載して
量産機用のデーター収集として大活躍をしていきます

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飛行試作機1号機(1001)は昭和37年7月11日に初のお目見えです
三菱小牧工場でロールアウト要するに地上でお試し実験です

基礎設計から5年4か月かけて、日本で戦後初の初飛行スタート
8月30日午前7時14分小牧飛行場管制官から離陸許可が下ります。
そして午前7時21分にふわりと初飛行に成功です

56分間の飛行でデーター収集で大活躍。
お蔭で物凄い厄介な問題が判明します。
この飛行機は危険だぁ・・・Σ(゚д゚;)

飛行機の性能では最も大切な部分の舵の効きが異常に悪過ぎる。
それに客室内がうるさ過ぎる。ここまで作って根本的な問題・・・
不味い結果に・・・。
このままだと墜落しても全然おかしくない。
と言うか墜落する・・・・

全日空も20機買うよと言ってくれましたけど性能が最悪すぎて・・・
なのでちょっと待ってと言われる始末に・・・。これではいか~ん。

そこで、戦前から航空機設計していた先輩から主翼の付け根に
角度2度のくさび型の部品付けなさいと言われ至急取り付けます。
尾翼も修理した結果。普通に飛べる飛行機になりました。

なので飛行機を横から見ると翼が少し上に向いてますよね。
これが大切だったのです

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前輪の格納庫です。質素にできてるようにできています。
けどさすが日本製頑丈
無駄なぐらい疲労テストしています( ̄ー+ ̄)

どのくらいかと言うと( ̄▽ ̄)大まかに・・・。
通常の旅客機は飛行6万時間相当の疲労試験を
行うことが義務付けられています。
   
ところがYS-11は22万時間も疲労試験をこなしてます。
ねぇ。やりすぎでしょ

飛行1号機は東亜国内航空・全日本空輸にリースされて
昭和57年まで活躍しました。
それからは地上で余生を送っています。
いいねぇ( ̄▽ ̄)お疲れ様
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ロールスロイス社のエンジン。さすがに日本ではエンジンが作れないの
でも、海外に売り込みをかける時に大きな武器になりました。あの世界の
なんとロールスロイス社製のエンジンが付いた飛行機で~す

これを宣伝文句に7カ国15社に売れました(* ̄ー ̄*)
まだ、日本製品の性能がイマイチの時代ですから仕方がありません。
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性能は普通です。あはははは。
乗員= 2名・全長= 26.3m・全幅= 32.0m・全高= 8.98m

60人乗り前後の中型旅客機   
巡航速度480kmくらい 
滑走路1200m級の小規模空港で運用可能
ローカル路線専用の飛行機ですねぇ。
※YS-11もバリエーション豊富なのでこれは平均的な数字ねぇ

しかし日本製品。軍用機並の丈夫さです。
もっと言えば無駄に頑丈です( ̄ー+ ̄)
そのおかげで2つの記録を持っています。

定時出発率が平成9年に99.6 - 99.8%。
驚異的記録です壊れないのです・・・。

昭和44年2月から飛行したYS-11はで
平成18年9月11日までの総飛行時間は
71,220時間47分。総飛行サイクルは72,359回と
世界一の記録です。


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ひなたは↑この角度から見たYS-11が大好きです。
なんか丸こくって可愛いです。

むかし近くで働いていたときにも感じましたが小さいなぁ・・・
でもそこも可愛い

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YS-11の作成の模様です。まさに手作り感満載です。
もちろん治具なども使いますが
1点ものの飛行機ですねぇ( ̄ー+ ̄)
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性能はYS-11」のタイプによって大きくことなります。はい。
乗員= 2名・全長= 26.3m・全幅= 32.0m・全高= 8.98m

60人乗り前後の普通の中型旅客機   
巡航速度480km前後   
滑走路1200m級の小規模空港で運用可能OK

こんなところでしょうか
若干ゆっくりした速度で低空で飛びますぉ
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わたしは鹿児島から屋久島へ行くときに利用しました。

出発するときプロペラが回り始めます。
甲高い機械音が客室内に響いてきます。

そして、滑走路の端で一旦静止してエンジンを全開
さらにキーンと甲高い機械音を立て疾走して行きます。
そして、少しフラフラしながら上昇します。

それに、わたしは部品の修理をしたこともあります。
コックピットウインドの修理を2年間・・・懐かしいなぁ。

暇なときにANAドッグにいるYS-11をまじまじ見ました。
そんなときにANA整備士さんが女性が見ていたのが
珍しいと私の事を感じたのかなぁ。

コックピットなんかも見せてもらいました(* ̄ー ̄*)

なのでお客さんとして
仲間として一緒に2年間を過ごしたのが懐かしいです。

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2013年7月28日 (日曜日)

日本航空機製造 YS‐11 鹿児島空港に集結

もう、15年前になりますが東京から屋久島へ向かう途中に福岡空港―鹿児島空港―屋久島空港とYS‐11に乗り継ぎながら向かいました。国産旅客機でターボプロップエンジンを唸らせて飛び立つ感じは忘れられません。

早く次期、国産旅客機がロールアウトすることを祈っています。Ys11a

Ys11b
いまは亡き、日本エアコミュニュター(JAC)です。それにしてもYS‐11の勢揃いです。
これだけ愛され使われた飛行機も珍しいです。
低空をゆっくり飛ぶYS‐11にはローカル線がお似合いで海や陸地がよく見えましたねぇ。

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